2018 Fiscal Year Research-status Report
Basic study on the literary matters of Kimura Mokurou
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18K12292
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Research Institution | Aichi Prefectural University |
Principal Investigator |
三宅 宏幸 愛知県立大学, 日本文化学部, 准教授 (90636086)
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Project Period (FY) |
2018-04-01 – 2022-03-31
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Keywords | 黙老 / 馬琴 / 蔵書 / 多和文庫 / 図書寮文庫 / 静幽堂叢書 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、近世後期に讃岐高松藩の家老をつとめた木村黙老の文事について、その全貌を探る研究の基礎を構築するものである。今年度は黙老の文事の核となる彼の蔵書についての研究を行った。 黙老の蔵書については、「一棟の倉は蔵書で詰り、地震の時、人々は戸外に飛出しても彼は一人書庫に黙坐して動かなかつた」という話が伝えられており、多くの書物を所蔵したであろうと考えられてきた。黙老の蔵書目録はこれまで宮内庁書陵部図書寮文庫蔵の鍋田三善編『静幽堂叢書』全五十九冊の内五十五冊目「芸苑部二」に掲載される「讃藩黙老木村氏蔵書目録」が知られてきた。しかしこの資料は書物の掲載点数が三百五十点ほどで少なく、「一棟の倉は蔵書で詰」ったという伝承と異なるため、「出府以来江戸在番中に蒐めたものの略目録」と目されてきた。近時、報告者は香川県さぬき市の多和文庫に蔵される『高松家老臣木村亘所蔵書籍目録残欠』を発見し、この資料には約千百点を越える書籍が記されている。このことは、黙老が蔵書家として大量の書籍を所蔵していたことをうかがわせる。そこで今年度は、まずそれぞれの蔵書目録について翻刻を公刊し、それぞれの特徴や資料の性格について検証した。 さらに、上記の蔵書目録の情報を基にしつつ、知友である曲亭馬琴との関係についても改めて検証した。例えば、馬琴から黙老へと渡った書籍はこれまでに多和文庫蔵『房総志料』『日本霊異記』、松平公益会所蔵『残欠聡誉の記/湘山移星集』など数点が知られていたが、他にも鎌田共済会郷土博物館所蔵『漂流事略/火浣布略説』は旧馬琴所蔵と思われる。また、同館所蔵『津田村勝之助漂流記』には、黙老の質問とそれに答えた馬琴の書入の紙が挟まれている。この紙には二人の外国についての応答がなされており、当時の二人の興味関心が明らかとなる。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
報告者が紹介した多和文庫所蔵の蔵書目録『残欠』は、単に黙老の蔵書を後世に伝えるためだけの資料ではなく、黙老の旧蔵書と判断する一つのツールとなりうる。 というのも、黙老の蔵書印「木村蔵書」「木村家蔵」の印記を有する資料の多くに、表紙に数字の書かれた小さい紙が貼付される。その数字は、『高松家老臣木村亘所蔵書籍目録残欠』に記載される番号と一致する。基準の一例を示すと、蔵書目録に「九十五番『続聞ままの記』二十五」とあり、多和文庫所蔵『続聞くままの記』の表紙右肩部には「九十五」と書かれた紙が貼られる。 同様に、多和文庫蔵『梅桜日記』大本一冊は一丁表に「木村蔵書」の印記を持ち、表紙右肩には「四十番」の紙が貼られる。蔵書目録の『残欠』四十番の項に「梅桜日記 一冊」と記される。他にも、上田秋成著『冠辞続貂』大本七冊が多和文庫に蔵されるが、序一丁表に黙老の蔵書印があり、表紙に「五十五」と書かれた紙片がある。『残欠』五十五番の項に「冠辞続貂 七冊」と見え、書名・番号が一致する。鎌田共済会郷土博物館蔵『消暑漫筆』大本五冊は、小神野与兵衛著の高松松平家に関する歴史書『盛衰記』を高松藩士の中村十竹が校訂・批判した書物であるが、「木村家蔵」の印記に加えて表紙に「七十三」と書かれた紙片がある。これも『残欠』の七十三番に「消暑漫録 五冊」と載る。これらのように、黙老の蔵書印を有する資料の表紙には数字の記された紙片が残る。 興味深いのは、黙老の蔵書印がなくとも、表紙の紙片の数字と蔵書目録の番号とが一致する資料も散見される。多和文庫蔵『白石先生遺考』は「廿八番」、同『肥後国舞々唱歌』は「八十八」、同『かたそきの記』の「九十一」など、黙老の蔵書印がないものの『残欠』の情報と合致する。 報告者は以上の情報を把握しており、今後の研究につなげる予定である。よって、研究はおおむね順調に進展している。
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Strategy for Future Research Activity |
今後はさらに黙老の旧蔵書の探索を続ける。黙老の旧蔵書には馬琴に貸し出した書籍などもあり、それらの資料には馬琴の書き入れなども残っている。その資料を検証することで、黙老の交友関係の実態が明らかになると思われる。 旧蔵書を通じた交遊についての研究は、馬琴だけでなく他の文人にも裾野が拡がる。蔵書目録『残欠』記載の情報と共通する資料を探索したところ、多和文庫蔵『上総国村高帳』は、表紙右肩に「七十五」の紙が貼られ、書名と番号とが『残欠』の記載と適合する。同文庫蔵『越前名寄』も「七十五」、同文庫蔵『美作国風土略』)は「七十七」(『残欠』では「美作国風土記」)なども同様である。したがって、これらの書物を黙老の旧蔵本と考えてよいが、これらの資料は「正斎蔵」の印記を持つ。 正斎とは近藤重蔵のこと。名は守重、通称吉蔵・重蔵、号は正斎・昇天真人。文政十二年六月没。山本北山に漢学を学び、松前蝦夷地御用として四回蝦夷地に赴いて千島を探検したことで有名である。重蔵は文政十二年に没しているが、『残欠』の成立は嘉永以降と考えられるため、黙老から重蔵へではなく、重蔵から黙老へ譲られた書籍と考えるのが自然である。探検家の重蔵らしく、地理に関連する資料が多い点が興味深い。 他に、多和文庫蔵『傘笠考』には表紙に「四十五」の貼り紙がある。『残欠』四十五番の項に「傘笠考 一冊」とあることから、本書も黙老旧蔵本と思われる。そして本資料の表紙には美成の蔵書印「好問堂/珍蔵記」の紙も貼られており、山崎美成との交遊もうかがわれる。 このように、現段階で把握している黙老の旧蔵書群を基に、黙老の文人との交遊について検証を進める。なお、報告者は山崎美成、小津桂窓、石塚豊芥子からの黙老宛書翰の所在を把握している。これらも含め、検証を行っていく。
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Causes of Carryover |
2018年度は本務校における学生との面談や会議などの多くの業務により、まとまった研究時間を確保することが難しかったり、空間的に各地に移動することが困難であった。そのため、旅費として使用を予定していた研究旅行がキャンセルになった分、次年度使用額が生じた。 2019年度において、資料探索のために各地に赴く旅費や、各地の所蔵機関における資料の複写費用として使用する計画を立てている。
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Research Products
(6 results)