2019 Fiscal Year Research-status Report
The Links between the Irish Literary Revival and James Joyce: Demythologization of National Female Iconography
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18K12318
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Research Institution | University of Toyama |
Principal Investigator |
結城 史郎 富山大学, 学術研究部人文科学系, 准教授 (00757346)
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Project Period (FY) |
2018-04-01 – 2021-03-31
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Keywords | J. M. シング / ジェイムズ・ジョイス / アイルランド / 文芸復興 / セクシュアリティ / 神話 |
Outline of Annual Research Achievements |
1890年代から1920年代にかけてのアイルランドでは、「文芸復興」と呼ばれる豊穣な運動が開花した。本研究の目的は、この運動がジェイムズ・ジョイスに与えた影響について考察することにある。ジョイスは自国の狭隘な文学に反発し、大陸のモダニズムの運動に共鳴したとされるが、その文学の形成に力があったのは、何よりも同時代のアイルランドであったはずだ。その具体的な関りを探るべく、本研究は、国家をめぐる「黒髪のロザリーン」や「貧しい老婆」といった民族主義の女性表象に焦点を向け、その脱神話化を検証する。 そこで2019年度においては、「J. M. シングとジェイムズ・ジョイスの女性像」という課題の下、シングの一連の作品とジョイスとの連動を考察した。シングの『海に騎り行く者たち』は苛烈な自然に忍従する老婆を主人公として、民族主義的な色彩の濃い『キャスリーン・ニ・フーリハン』への批判となっている。その他、『谷間の影』や『西国の伊達男』など、女性が抱える現実やセクシュアリティの描写において、シングの女性像は、ジョイスに影響するところ大であった。あるいは、シングとジョイスの文学は、人物の深層心理を抉ることにおいて、軌を一にしていたとも言える。 ジョイスの『若い芸術家の肖像』の第4章での、海辺の少女をめぐる主人公スティーヴンへの啓示はダンテだけでなく、シングの『アラン島』に負っている。さらに『ユリシーズ』では、シングの『西国の伊達男』での描写のみならず、彼の語法の巧みな模倣から、ジョイスへのシングの影響が読み取れる。シングはアビー劇場を拠点としながらも、文芸復興を異なる視点でとらえていた。そうした彼の文学は神話に対する姿勢にも明らかだろう。本年度は、アイルランド神話を基にした『哀しみのディアドラ』を中心に、アイルランドの女性表象の脱神話化という観点から、ジョイスとの連動を検討した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究は、アイルランドの文芸復興運動家とジェイムズ・ジョイスとの関り、とりわけ国家をめぐる女性表象の脱神話化という観点から、両者の連動を詳らかにするものである。文芸復興運動は国民文学を目指したが、民族主義の一枚岩的な女性表象に奉仕することなく、主体的な女性像を模索した。ジョイスの文学も変わらない。彼もまたアイルランドを作品の舞台としながら、民族の抱える問題を広い視野で描いた。そのため2018年度はW. B. イェイツについて、そして2019年度はJ. M.シングについて、ジョイスの文学との連動を検証した。 シングはアイルランド神話に精通していたものの、W. B. イェイツやレイディ・グレゴリーたちとは違い、そうした神話を題材とすることはなかった。『哀しみのディアドラ』は彼の例外的な作品である。このシングの劇の枠組みは神話と変わらない。主人公のディアドラは、老王コナハーとの結婚を避け、若い戦士ニーシと逃亡するが、二人とも予言のとおり悲劇的な結末を迎える。ニーシはコナハーによって殺され、ディアドラはその遺体の前で自害し果てる。その一方、シングのディアドラは神話の人物というより、きわめて人間的な人物として描かれている。ディアドラの運命は予言によって決定されているが、彼女はその物語に呪縛されながらも、生の充溢を喜ぶ脱神話化された人物である。 シングはこれまでもアイルランドの表象としての女性像を脱神話化してきた。『谷間の影』や『西国の伊達男』などの騒動にも明らかなように、シングは現実に即した女性像を創造している。そうしたシングの文学を評価したのがジョイスであり、その作品のいたるところにシングの影響が読み取れる。本年度はそうした両者の連動を神話という観点から検討することができた。シングと農民というテーマへのジョイスの評価は考察の対象外になったが、これは以降の研究で再考するつもりである。
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Strategy for Future Research Activity |
本研究は、アイルランドの文芸復興運動家とジェイムズ・ジョイスとの関り、とりわけ国家をめぐる女性表象の脱神話化という、これまでの研究の空白部を詳細に検証し、両者の連動を詳らかにするものである。文芸復興運動は国民文学を目指したが、民族主義の一枚岩的な女性表象に奉仕することなく、主体的な女性像を模索した。ジョイスの女性像もそうした流れと軌を一にしている。それに加え、女性表象の脱神話化という文芸復興運動家たちのインターテクスチュアルな相貌も、ジョイスの創作に影響するところ大であったろう。 そのような連動を明らかにするため、2018年度はW. B. イェイツを、また2019年度はJ. M. シングを中心に、ジョイスの連動を検証した。そして2020年度においては「レイディ・グレゴリーとジェイムズ・ジョイスの女性像」という課題の下、グレゴリーの一連の作品とジョイスとの連動を探りたい。これまでの研究においては、イェイツもシングもアイルランドの女性表象の脱神話化を検証したが、レイディ・グレゴリーも表象としての女性の脱神話化を試みている。その範例が『グラーニア』(1910)である。アイルランド神話においては、若い戦士ディアムードと逃亡しながらも、彼の死後、老王フィンに復縁している。シングのディアドラと異なる結末で、グラーニアの人物像に疑問を抱く向きが多いが、グレゴリーはその意識を巧みに描き、脱神話化に成功している。 ジョイスはグレゴリーに批判的であった。それはグレゴリーが神話の発掘に力を入れていたことによるが、その一方で彼女は神話を現代に蘇生させ、新たな物語として再構想していた。彼女もイェイツやシングと異なるものではない。そしてこの文学的な手法はジョイスのものでもある。彼はグレゴリーを批判しながらも、内実は彼女の営為を見守っていたはずである。本年度は両者の連動を検証するつもりである。
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Causes of Carryover |
本研究は、アイルランドの文芸復興運動とジェイムズ・ジョイスとの連動をめぐり、2018年度にW. B. イェイツについて、そして2019年度にはJ. M. シングを対象に、ジョイスとの連動を検証してきた。この研究を遂行するため、学会で発表し、その成果を学内の紀要や叢書、ならびに学外の論集に寄稿してきた。そのため予定したとおりの成果を達成することができたと自負している。2020年度はレイディ・グレゴリーを対象とし、その研究費に支給額を利用したい。 その一方、2019年度は現地調査ができず、予定していた旅費が残ってしまった。夏季には学内の仕事のため、そして春にはコロナ・ウィルスの伝搬によるためである。そのような状況もあり、不足の資料は国内外の知人や恩師にお願いして、かなりの量を入手することにした。それでも足りない資料もあり、2020年度の研究にその残金を生かしたいと思っている。その金額は研究のための旅費、資料収集や書籍の購入、あるいは備品の整備に使用し、成果につなげる予定である。 コロナが収束するなら、残金は海外調査費として使用するつもりであるが、不可能である場合には、アイルランドの知人や海外の大学のオンライン・サーヴィスの利用に充当する予定である。判断は夏季ごろまでに行いたい。
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