Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
舘野 和己 奈良女子大学, 文学部, 教授 (70171725)
高田 将志 奈良女子大学, 文学部, 教授 (60273827)
伊藤 敏雄 大阪教育大学, 教育学部, 教授 (00184672)
小方 登 京都大学, 地球環境学堂, 教授 (30160740)
|
Research Abstract |
・黒河最下流域,前漢代の殄北候官跡とされるA1遺跡東側の砂丘地帯(主に縦列砂丘とバルハン型砂丘が発達)において,灌漑水路跡の可能性が高い並列した細長い微高地と旧河道を確認した.これらは,A1遺跡の東側地域において,農耕が実施されていた可能性が極めて高いことを示すとともに,従来の知見に比べて前漢代耕地の広がりは大きかったことを示唆するものである. ・A1遺跡南東約5km付近の砂丘地帯の中,基盤岩からなる地山の上にA10遺跡が存在する.同遺跡の北20m付近には,周囲を長方形に近いやや高い土地パターンで囲まれた,大きさ数cmから10数cmの鉄滓様塊が4-5m間隔で直径1.5-2mほどの高まりとして,5個ほど存在した.用途は不明であるが,その形状から,壁的なものが設置されていたことが示唆される.鉄工房の存否などを含めて,詳しい検討が待たれるところである. ・A11遺跡の現地を調査し,複数の烽火用穴跡に加えて,同遺跡から東方にかけて,周囲に比べて粗い砂礫から構成された約幅1mの土地パターンが7mほどの間隔で3列並走していることを確認した.それらは「漢代の長城」跡の可能性が極めて高く,同様の列状の土地パターンは,A10の東側などでも確認された. ・GoogleEarth画像から抽出された,A8遺跡(甲渠候官跡)の南約10kmの斑点状の土地パターンが現地調査により;西夏・元代の墓地であることが判明した.現地の考古学者によれば,従来,黒河下流域では同時代の墓地はほとんど確認されていない. ・黒河中流域,張掖西方で漢代の「千金渠」跡を捜索したが,新幹線工事などのため,確認できなかった.しかし,清代の「三清渠」を,衛星画像判読と現地調査により確認した.
|