2007 Fiscal Year Annual Research Report
弁証論を手がかりとする道徳形而上学の再構築-道徳的自然主義を越えて-
Project/Area Number |
19520005
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Research Institution | Iwate University |
Principal Investigator |
宇佐美 公生 Iwate University, 教育学部, 教授 (30183750)
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Keywords | 弁証論 / 道徳の基礎付け / 道徳的自然主義 / 脳科学 / 自由 / 公益説 / 進化論的倫理学 / 合理性 |
Research Abstract |
本年度は、まずこれまで様々な形で試みられてきた「道徳の基礎付け」に関する議論を整理し、外在主義に対する内在主義の意義を検討した。道徳が、単に道徳外の目的に至るための手段ではなく、それ自体独自の価値を実現するものと見なす限り、近代以降の「道徳の基礎付け」の試みの多くは、いわゆる「内在主義」に収斂することになる。しかし内在主義は、他方で当該の道徳的価値を信ずる者にとってしか有効性(必然性)を持たないとして、その独善性が批判されてきた。そうした批判を回避しつつ、「道徳の経験的事実」を持ち出すことで道徳の持つ内在主義的性格を(正当化ではなく)説明しようとする立場に、道徳的自然主義や進化論的倫理学の立場がある。ところがこの立場にとっては、人類の生き残りが、道徳の必然性を裏付ける説明根拠にはなるが、内在主義的道徳自体が持っている「よき生」への示唆と折り合うことが難しくなる。本年度はこの困難さの根拠を道徳的善さをめぐる「意味論」的視点から考察した。 道徳的自然主義の立場からすれば、純粋な道徳という形而上学的理念よりも、生き残りに必要な限りでの道徳性(一種の熟練の命法や怜悧の勧告)こそが重要であることになるが、そのことは結局「公益性」に道徳の正当性の根拠を求めることにつながる。こうした自然主義のもとでは、必要とあらば薬物や治療、人工補助装置等を用いて人間の行動をコントロールすることでさえ有意義であることになるが、それは自ずと道徳における自由と責任の問題を喚起することになる。生き残りのための行為のコントロールと自由(責任)の一見矛盾的関係を調整する鍵になるのが、行為者自身にとっての「十分な理由」(=合理性)である。行為者自身にとっての合理性が、単なる公益性から独立した「意味」を得ることができるかどうかが、内在主義的道徳の成立にとって重要であることまでを明らかにした。次年度以降は、心の哲学の成果をを視野に入れながら、道徳的自然主義と行為者にとっての合理性の関係を検討してゆくことになる。
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