2010 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
19520594
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Research Institution | Lake Biwa Museum |
Principal Investigator |
橋本 道範 滋賀県立琵琶湖博物館, 研究部, 主任学芸員 (10344342)
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Keywords | 中世史 / 環境史 / 内水面 / 琵琶湖 / 漁撈 / 消費 / 村落 / フナ属 |
Research Abstract |
当該年度は、日本最大の内水面である琵琶湖のフナ属の消費動向から琵琶湖漁撈を照射する作業を行った。その成果は下記のとおりである。 1、 『琵琶湖博物館研究調査報告第25号 日本中世魚介類消費の研究-五世紀山科家の日記から-』(滋賀県立琵琶湖博物館、2011年)の成果に基づき、15世紀の貴族山科家の日記からフナ属の魚介類記事を抜き出し、グレゴリオ暦に換算した。その結果、フナズシはほぼ年間を通して贈答されていると同時に、5月、6月と8月という贈答のピークがあることが明らかになった。また、フナズシ以外のフナ属の贈答と貢納を分析した結果、産卵期(4月~6月)と厳寒期(12月~2月)という季節性をもっており、抱卵したフナが価値をもっていたことが確定的となった。 2、 中世の料理書にはフナ属の料理として、膾、刺身、焼物、煮物、こごり、汁や吸物が登場することが明らかになった。これらのうち、包焼は15世紀には故実の世界の料理と考えてよく、フナ属の料理で最も重要な料理は膾料理と想定された。そして、鱠料理に欠かせない素材として登場するのが堅田鮒であり、堅田鮒は振り売りによって京都で直接販売されていたことを確認した。 3、 これまで堅田の漁撈を理解する上で基本史料とされてきたのが、『菅浦文書』の応永4年(1397)の堅田契約状であるが、内容、形式ともに疑うべき点があり、これを基本に堅田漁撈を考えることはできないことが判明した。それに対し、年未詳の堅田と菅浦の紛争史料により、菅浦が排他的漁業権を主張する地先十八丁の「浦前」で、旧暦3月以降、堅田が夜な夜な網を打っていたことが確認できた。これは抱卵したフナ属をターゲットとしていたとみてよいと考える。これらにより、中世前期には脆弱であった堅田漁携が、首都京都における堅田鮒の需要の増大を背景として、他浦の地先での夜間漁撈を挺子に琵琶湖で台頭したと想定した。
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