2008 Fiscal Year Annual Research Report
清末のアヘン追放運動と中国アヘン税収をめぐる中央・地方間の抗争との関連
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19520602
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Research Institution | Okayama University |
Principal Investigator |
新村 容子 Okayama University, 大学院・社会文化科学研究科, 教授 (80362945)
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Keywords | 四川総督趙爾巽 / アヘン生産 / 團首 |
Research Abstract |
本年度は、清末の禁煙運動について、二つの課題を実行した。第一に、従来の研究(英語圏での研究と中国での研究が中心である)を収集すると同時に、それらを読み進める作業をおこない、第二に、前年度に引き続いて、北京の中国第一歴史档案館を訪問し、趙爾巽全宗档案の閲覧を進めた。その作業を通じて、従来の研究で論じられていることと、清末の四川省で実際に進められていたアヘン追放運動の実態との間に大きな乖離があることがわかった。 従来の研究では、清朝政府は、アヘン追放を真摯に実行しようとし、イギリスも清朝側の意向を尊重してアヘン貿易停止に協力し、1907年に「中英禁烟協定」を結んだと評価されている。しかし、中国最大のアヘン生産地四川省の総督であった趙爾巽の档案から見えてくるものは、総督趙爾巽が清朝政府に上奏したアヘン追放策は建前に過ぎず、現実には実行し得なかったということである。趙爾巽档案においてもっとも興味深いのは、アヘン生産禁止を直接指導する立場にある各場の「團首」(州県の下部の地域である「場」に設置された地域防衛団のリーダー)の陳情書である。そこには、「團首」が農民からすさまじい抵抗に遭い生命の危険さえあること、農民暴動に発展する恐れがあるためこれ以上「指導」できないことが述べられている。また、農民の怒りを恐れて現場に姿を見せず役所に引きこもっている知県や知州などの役人への不信感が表明されている。現実と法令との間の落差は大きい。これまでの研究は、清朝政府が示したアヘン追放の法令の文言に依拠してアヘン追放運動を論じてきた。しかし、これはほとんど意味を持たないのではないか。 また、趙爾巽档案の中の知県や知州の総督への報告書からは、アヘン生産停止を「指導」するために、農民にアヘン生産をやめる代償としてお金を支払っていたという驚くべき実態が見えてくる。農家の損失補填をしないかぎり、アヘン生産を禁止できなかったのである。清朝政府にとって相当の財政負担となったであろう。 趙爾巽が、「中英禁烟協定」に定められた十年以内にアヘン生産を停止するという条項を繰り上げて三年以内に一掃する政策を提案した背景には、短期間一時的に四川省のアヘン生産を可能な限り停止させ、停止したという事実をイギリスの調査団に見せる、という狙いがあるのではないか。調査団が納得して帰った後は、アヘン生産を再び黙認するという魂胆である。三年間損失補填をするという代償を支払い、対外的にアヘン生産停止をアッピールしようとした背景にはどのような狙いがあったのだろうか。 趙爾巽档案の史料は、「中英禁烟協定」に関する従来の研究の不十分さをあきらかにするものである。
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