2007 Fiscal Year Annual Research Report
東亜同文書院生の記録からみた20世紀前半期満州における居住日本人の分布と変動
Project/Area Number |
19520686
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Research Institution | Aichi University |
Principal Investigator |
藤田 佳久 Aichi University, 文学部, 教授 (70068823)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
藤田 佳久 愛知大学, 文学部, 教授 (70068823)
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Keywords | 満州 / 満州人 / 漢人 / 日本人 / 東支鉄道 / 南満州鉄道 / 漢人の満州移民 / 満州の農業開発 |
Research Abstract |
1.東亜同文書院は1901年に中国上海に開学し、半世紀にわたり中国を主に東南アジアも含めた調査旅行を行い、多くの観察記録を残した。本研究はそのうち満州地区の調査記録をベースにして、満州事変以前と以後にわけて検討し、初年度は主に満州事変以前の時期を中心に研究を進めた。 2.満州は清朝期に満州族の聖地とされ、漢人の流入を禁じたため、満州族など放牧民の一部の利用空間と、一部に漏れるように入り込んだ漢人の農民による限定された利用空間に留っていた。 3.しかし、19世紀後半にロシア勢力の南下が始まると、清朝は領域の一部を漢人の農民に開放し、農民は主に山東省からの出稼ぎ移民が流入するようになった。しかし、農民としての定着は遅れ、それも南満州、さらに南満州鉄道が開通するとその周辺地帯が農業地として選択された。 4.日露戦争後、日本からの資本投下がすすむと、農民以外の商人などの就業者も農民の後を追うように進出し、ロシア人が建設した東支鉄道の拠点のハルピンや南満州鉄道の鉄道発展の中での要所に小都市が形成されるようになった。ハルピンなど東支鉄道沿いにはロシア人をベースとした小都市が形成され、それらの小都市に集中するように漢人が流入した。 5.また日露戦争後、日本人も満州へ流入するようになり、南満州鉄道を軸にし、鉄道建設、地下資源開発などの試みも始まった。そして、農民の入植も試みられたが、環境条件への対応が不十分で失敗するケースも目立ち、農業開発の主力にはなれなかった。それが本格化するのは満州事変以降のことである。 6.以上のように20世紀初期の満州事変以前の満州では、それまでの満州人の世界に、北方からロシア人、南方から漢人が入り込み、局地的に日本人も入り込む人口分布を示しつつ、流動化が始まった時期だといえる。
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Research Products
(2 results)