2007 Fiscal Year Annual Research Report
東ドイツにおける素材型及び加工組立工業の産業史・企業史的分析
Project/Area Number |
19530315
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Research Institution | Akita University of Economics and Law |
Principal Investigator |
白川 欽哉 Akita University of Economics and Law, 経済学部, 准教授 (20250409)
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Keywords | 戦後ドイツ / 戦後賠償 / デモンタージュ / ソ連占領地域 / カール・ツァイス・イエナ / 旧IGファルベン / 戦後復興 / 米ソ冷戦 |
Research Abstract |
本年度の研究では、第一に、ソ連占領期の東ドイツ工業が、対ソ賠償向けの「デモンタージュ(工場解体)政策」によって戦前・戦中期の構造から断ち切られたのか、否かを検証することに主眼を置いた。また、その際、ソ連側の思惑が、どの程度まで賠償政策に反映され、それが東ドイツの社会主義化にどのような影響を与えたのかについても考察した。その成果は、紀要論文としてまとめ発表した(ソ連占領地域における戦後賠償(1)-デモンタージュと工業の再編-)。 論文においては、対ソ賠償が、素材型工業部門の旧コンツエルン傘下企業(合同製鋼、クルップ、IGファルベン)にはじまり、それが段階的に加工組立部門(光学機器、航空機メーカーなど)に拡大していく過程を追うとともに、ソ連の占領地域に対する態度の変化(全ドイツへの影響力の拡大という思惑の頓挫と東ドイツの社会主義化へのてこ入れ)を確認することができた)。 研究の第二の目標は、「社会主義化」に関するソ連本国とドイツ社会主義統一党の見解の微妙な相違=ズレについて、スターリン、フルシチョフとW。ウルブリヒトの思惑を探り、そのうえで東ドイツの社会主義化の真の主導者は誰かを検討することにあった。明白な結論は導き出せなかったものの、建国前はウルブリヒト・グループの社会主義化への意欲が非常に大きかったように見受けられた。社会主義の放棄はSEDの存立基盤の喪失を意味したからである。建国後には、ソ連による東欧諸国の囲い込みの延長線上に東ドイツが位置づけられたものの、しばらくの間(50年代半ばまで)は、統一ドイツ構想は廃棄されないでいた。ソ連と東ドイツの思惑が一致したのは、50年代半ば以降と思われるが、東ドイツの独自路線色(ウルブリヒト色ともいえる)もまた同時に強まった。それは、隠れたソ・独対立として、60年代末にそのピークを迎えた。*以上については、政治経済学・経済史学会東北部会において、「ウルブリヒト時代の東ドイツにおける計画経済化」として報告した。
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Research Products
(3 results)