2008 Fiscal Year Annual Research Report
近代日本の地方都市における士族と産業の担い手の数量的研究
Project/Area Number |
19530319
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Research Institution | Kanagawa University |
Principal Investigator |
松村 敏 Kanagawa University, 経済学部, 教授 (60173879)
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Keywords | 士族 / 武士 / 商人 / 官吏 / 将校 |
Research Abstract |
明治期金沢市には数万人(戸主は約1万人、以下の数字は戸主)もの士族が在住したが、そのうち商人は約千人で、士族の1割、商人の2割を占めた。主に下級武士が中小規模の商業を営み、業種にも士族的な特徴が見出せた。開廃業率は士族の方がむしろ低く、明治中期に士族の商業経営はそれ以外の者より不安定だったとは必ずしもいえない。また多数の士族が軍人(将校)・官吏・県官吏・市役所吏員にもなったが、40石以上1000石未満(とくに500石未満)層の旧中級武士から多く輩出しており、概して輩出率が最も高かったのは中級武士層であった。将校は禄高最下層でもある程度は輩出しており、その中からのちに将官に上り詰めた者もある程度いた。旧下級武士が近代日本の社会のリーダーになったという面も、まったく根拠がなかったわけではない。1880〜1890年代の金沢士族の官吏には、高い地位に就いていた者はほとんどいなかったが、将校より一層知行取の旧藩士家出身の者が多く、しかも若い層ほどその傾向が強くなっている。官吏では、将校より早く学歴重視の時代が訪れたと推測される。石川県官吏・金沢市吏員の地位と旧禄高はある程度相関があり、地方政府の中には藩政期のヒエラルキーが明治中期にもある程度残っており、地域の行政の担い手層は藩政期のそれを継承していた。ただし金沢市吏員は将校・官吏・県官吏よりも、旧藩士のうち切米取・扶持米取の割合が高く、微禄の旧藩士が相対的に多い。また将校・官吏・県官吏よりも、高齢者の割合が高い。若年者と異なって学校で教育を受けたうえでより望ましい職をめざすことが事実上不可能な中高年齢層の、とくに微禄の旧下級武士が生活の糧を得るために市吏の職に就かんと派閥に分かれて激しい市議選挙の戦いを展開した。
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