2007 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
19530442
|
Research Institution | Hiroshima University |
Principal Investigator |
材木 和雄 Hiroshima University, 大学院・総合科学研究科, 大学院・総合科学研究科 (70215929)
|
Keywords | 1941年4月戦争 / ユーゴスラヴィア王国 / 第二次世界大戦 |
Research Abstract |
本年度は、第二次世界大戦後に社会主義連邦国家が成立した背景的要因を探るため、1941年4月の対独戦争とユーゴスラヴィア王国の崩壊に至る道を検証し、この国の軍隊の敗北と王国崩壊の原因について試論を提示した。 ドイツと戦うことになった場合、周囲を敵国に囲まれたユーゴスラヴィアの敗北は最初から不可避的であった。さらにドイツ軍の指導部はユーゴスラヴィア軍の弱点をよく研究し、短期間でこれを打破できると確信していた。しかし、それでもわずか12日間で作戦が終了したことは大きな驚きであった。何がこのような予想外の結果をもたらしたのだろうか。戦後の研究を総合すると、ユーゴスラヴィア側の問題点として、少なくとも三つの要因を指摘できる。第一に防御の体制が整っていなかったこと、第二に防衛計画が状況に適合していなかったこと、第三に将兵の士気が低かったことである。 ユーゴスラヴィア王国の崩壊については、国王と政府が早々と国外に脱出したことが大きな影響を与えたと考えられる。都市部を占領されたとはいえ、内陸部には敵の手の及ばない地域が広範に残っており、この一帯にユーゴスラヴィア軍の敗残兵を集めて立て籠もれば、ユーゴスラヴィア政府はまだまだ国内での抵抗の余地があったはずである。結局、第二次世界大戦中にユーゴスラヴィア王国政府は国内で有効な抵抗運動を最後まで組織できず、パルチザン運動を指導した共産主義者に権力を奪われ、戦争が終わった後も王国を再建することができなかった。王国政府指導者と国王の自分らの身の安全のみを考えた行為は後に見捨てられた国民から大きな仕返しを受けることになった。
|
Research Products
(1 results)