2008 Fiscal Year Annual Research Report
林市藏の履歴と方面委員制度の関係についての歴史的研究
Project/Area Number |
19530525
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Research Institution | Kyoto Koka Women's University |
Principal Investigator |
小笠原 慶彰 Kyoto Koka Women's University, 人間科学部, 教授 (00204058)
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Keywords | 林市藏 / 方面委員 / 大阪府知事 |
Research Abstract |
本年度の研究では、ほとんど定説になっている、大阪府方面委員制度の創設事情について、若干の考察を試みた。まず林の知事着任に関する風評について、いくつかの資料を分析する。次に在任中に起こった米騒動と白虹事件への関り方を考察した。それらを前提として、大阪府救済課の設置も大阪府方面委員規定の制定とその後の関与の仕方についても、内務官吏としての職務に忠実であったという視点から、従来の定説に見解を加えた。 すなわち、林は、府知事着任時点で、大阪朝日新聞対策という政治的色彩の強い職務も認識していたが、感化救済事業についての取り組みも内務官吏としての重要な職務と認識していた。その後、米騒動を実際に経験して、その両職務がどういう方向で為されるべきかを実感した。それは、後の社会局につながる救護課を設置した内務省の政策動向に沿うものであった。したがって、小河滋次郎の考案しつつあった救済委員も方面委員として換骨奪胎した制度に仕上げた。そして制度の創設期に、たまたま小河が病気療養している間、大阪府救済課のメンバーとともに、方面常務委員会をリードし、その方向性を決定づけた、というものである。 また林市藏宛山縣有朋書簡の翻刻では、1917(大正6)年10月15日付(消印も10月15日)で山縣有朋から林市藏宛に出された書簡を扱った。当時の山縣は、枢密院議長、林は山口県知事であった。添え書きをした入江は、枢密院議長秘書官であり、山縣の側近であった。内容は、青年団活動に関する山縣から林への激励である。
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