2008 Fiscal Year Annual Research Report
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19820012
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Research Institution | Osaka University |
Principal Investigator |
重田 謙 Osaka University, 文学研究科, 助教 (30452402)
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Keywords | ウィトゲンシュタイン / 実在論 / 独我論(観念論) / 独在 / デカルトの懐疑 / 時間の矛盾 / 無矛盾 / 言語ゲームの地平 / 私的言語 |
Research Abstract |
現時点までの研究の結果として,まず実在論と独我論(観念論)との対立を解明するために論証するべきテーゼについて,次のような修正を迫られた. (1)世界は「私」が見ている夢ではないこと(=実在論)は論証不可能である. (2)世界は「私」が見ている夢であること(=観念論/独我論)は論証不可能である. (3)世界とは<私>であること(=独在)は論証不可能である. (1)'世界は「私」が見ている夢ではない(=実在論)と信じることは不可避である. (2)'世界は「私」が見ている夢である(=観念論/独我論)と信じることは不可避である. (3)'世界とは<私>である(=独在)と信じることは不可避である. (このテーゼにおける「私」は超越論的主観一般を意味している.一方<私>は比類なき唯一の存在を意味しており,じつはなんらかの記号によって表現することがそもそも不可能なものである). 論文「独在的な使用と経験的な使用」では,後期ウィトゲンシュタイン哲学の枠組である「言語ゲームの地平」において,テーゼ(1),(3)に論拠が与えられること,および規則論にウィトゲンシュタイン自身の意図を超えて「言語ゲームの地平」を批判する契機を見出すことを試みた.それはテーゼ(2)を論証するひとつの試みである. また論文「知識の懐疑」では,拮抗する二つ議論を提示した.ひとつは,デカルトの方法的懐疑をその論理的含意に忠実に遂行することによって不可謬な知識の不可能性を導き,逆説的な仕方で,知識に関する懐疑論的パラドックスを解消する試みである.それはテーゼ(1)を援用しながら,「言語ゲームの地平」における知識の成立を擁護する試みであるが,逆に,テーゼ(1)'に根拠を与えることになる. その論文の第二の目的は,デカルトの議論に,ウィトゲンシュタインによる批判を超える不可謬な知識の可能性を見出すことである.それは,テーゼ(3)'とテーゼ(3)のそれぞれの根拠を示すとともに,私的言語論によるテーゼ(3)の根拠づけに疑問を投げかける.
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