Research Abstract |
我妻榮博士の提唱した価値権説は,抵当権が物権である所以をもっぱら優先弁済権にみた。この考え方は,優先の有無を除けば,弁済権である点で共通する債権と抵当権をほぼ等しく扱う。とりわけ平成11年11月24日の大法廷判決が下される前の執行実務においては,一般債権者にすら認められる手続でしか抵当権者による占有排除が許されなかったが,このことは上記の理由による。 これに対して,同説が提唱される以前は,抵当権が物権たる根拠として追及権や売却権も挙げられていた。特に後者は,ローマ法にいうjus distrahendiに該当し,フランス法を経て日本法に導入された概念である。売却権は,ドイツ法学説継受の結果,換価権と呼ばれるようにはなったが,その基本的な内容は維持された。売却権とは,抵当権者が自身の名義で,抵当不動産を売却する権限であり,抵当権者固有の権利である。これに対して,-般債権者には執行権しか認められない。このように強制競売と抵当権の実行としての競売は,実体法上の根拠を明確に異にする。旧競売法が抵当権等の実行手続を別途定めていたのは,このためによる。 我妻博士は,上記の通り,売却権に大きな意義を認めなかった。また,民事執行法の導入は,抵当権の実行としての競売と強制競売の間の違いをさらに見えにくくした。以上の結果,売却権は,実体法学説でほとんど論じられることがなくなった。だが,それを無視することは,明らかに制度の沿革に反する さて,元来,売却権は,実体法上,裁判外ですら行使される余地があったが,競売法は,裁判所での行使にそれを限定することにした。このことからすると,その実体権としての意義の承認は,抵当権の私的実行を積極的に肯定する余地を開こう。では,私的実行をいかなる場合に認めることができるか。この問題は,近代法が敢えてこれを制限するようになったことをどう評価するかに帰着する。これは,今後の検討課題である。
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