2008 Fiscal Year Annual Research Report
日本におけるアメリカ合衆国の精神薄弱児教育の受容と放棄に関する歴史的研究
Project/Area Number |
19830116
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Research Institution | Mejiro University |
Principal Investigator |
高野 聡子 Mejiro University, 人間学部・子ども学科, 講師 (00455015)
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Keywords | 精神薄弱児教育 / アメリカ合衆国 / 精神薄弱児施設 / 川田貞治郎 / 石井亮一 / 知的障害児教育 / 知的障害者施設 / 知的障害児施設 |
Research Abstract |
本年度は、アメリカ合衆国の精神薄弱児施設において精神薄弱児教育ならびに施設運営の方法を学んだ石井亮一(1867-1937、滝乃川学園施設長)と川田貞治郎(1879-1959、藤倉学園施設長)が、帰国後、いかなる施設運営方針を構想し、施設内においていかなる精神薄弱児教育と保護を実践したのかについて検討した。 滝乃川学園ならびに藤倉学園の両施設では、創設からおよそ20年を過ぎる頃になると、自給自足による施設内保護の具体化が構想され、精神薄弱児の多くは終生を施設内で暮らすようになった。また、このような終生施設としての施設機能は、石井と川田の両施設長が滞在(あるいは訪問)したアメリカの精神薄弱児施設でも同様に見られた。だが、アメリカと日本を施設規模と施設内での教育と保護の内容から比較した結果、わが国は必ずしも全てを受容しておらず、石井と川田の両施設長の選択的搾取があったと考えられる。 なお、藤倉学園では第二次世界大戦下にあっても、大島(東京府)の自然と入所者の作業力を活用した自給自足が実現し、川田が構想してきた教育的治療学の形成と体系化が可能な状態にあった。しかし、藤倉学園は昭和19年(1944)年8月15日に山梨県北巨摩郡清里村の清泉寮へ疎開することになる。そのため、本年度は当時の保母より聞き取り調査を実施し、疎開中の藤倉学園では、疎開前と同様の処遇内容を実施することが困難になったとこと、それによって川田の教育的治療学の形成と構想も一時的に中断する状況となったことが明らかになった。
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