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2007 Fiscal Year Annual Research Report

岡山県児島郡における醤油醸造業の展開構造

Research Project

Project/Area Number 19910004
Research Institution岡山県倉敷市立精思高等学校

Principal Investigator

前田 昌義  岡山県倉敷市立精思高等学校, 教員

Keywords醤油醸造業 / 岡山県 / 児島郡
Research Abstract

近代初頭までは中心産地の一つであったが、その後地位を低下させていった岡山県醤油醸造業の中心産地の児島郡の醤油醸造業の展開構造を研究し、近代の醤油醸造業史の解明に寄与したいと考えた。
史料が残存している醸造家3家について、史料収集と検討を行った。玉野市番田の東近藤家については、史料の残存状況から部分的な解明にとどまる。明治20年代、京阪神への醤油移出組合の備前醤油醸造組合を通じて、児島郡・上道郡・邑久郡の醸造家から多くの醤油が京阪神に移出され、その送り先は京都は醤油問屋であった。また、京阪神への移出醤油の価格は、龍野などの他産地と連携を図りながら決定していた。東近藤家は県内最大の醤油醸造家であるとともに県内有数の資産家でもあり、児島郡のみならず児島湾沿岸の新田地帯に土地集積していた。玉野市八浜の藤原家についても、史料の残存状況から部分的な解明にとどまる。藤原家は、明治20〜30年代、備前醤油醸造組合を通じて周辺の醸造家と醤油を京阪神に移出しており、この送り先も京都は醤油問屋であったが、明治20年代と30年代では流通構造の変化が窺われる。また、地域経済にとって醤油醸造業は重要産業であった。倉敷市児島田の口の尾崎聖治家については、史料数量が多過ぎて検討は一部にとどまる。尾崎家は地元売りが中心で、県外移出は神戸の親類が中心であり、数年で行き詰まるものの大正期には他の醸造家と大阪に共同販売会社の児島醤油株式会社をつくったり、高知県への醤油移出を検討したりしている。これは、京阪神市場での競争激化によると考えられる。
これらの検討から、東近藤家は京阪神売り中心の大醸造家、藤原家と尾崎家は中醸造家で、藤原家は京阪神売り中心、尾崎家は地元売り中心と考えられる。そして、醸造家の生産規模や販売先の違いと京阪神での競争激化へ対応が、各醸造家の盛衰を生み、児島郡の醤油醸造業の展開の特徴を生んでいたと考えられる。

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Published: 2010-01-29   Modified: 2016-04-21  

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