2019 Fiscal Year Research-status Report
タイの信教の自由に与えたキリスト教の影響と課題:『宗教寛容令』成立過程をめぐって
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19K00085
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Research Institution | Aoyama Gakuin University |
Principal Investigator |
森島 豊 青山学院大学, 総合文化政策学部, 准教授 (70468388)
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Project Period (FY) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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Keywords | 宗教寛容令 / マックギルバリー / ラーマ五世 / プロテスタント教会 / 福音伝道 / 信教の自由 |
Outline of Annual Research Achievements |
これまで日本では知られていなかったタイの国王によって信教の自由を保障した勅書『宗教寛容令』(一八七八年十月八日)を日本で最初に翻訳し、その成立過程を研究成果として公表した。その成果は青山学院大学総合研究所キリスト教文化研究部編『贖罪信仰の社会的影響――旧約から現代の人権法制化へ――』(教文館、2019年)に収録した。 成立過程を調査する中で『宗教寛容令』がプロテスタント教会の福音運動によって生じたことが判明した。『宗教寛容令』がバンコク国王の勅書という形式で発布されるに至った経緯にはタイ北部での二つの弾圧事件が要因にある。第一の弾圧事件の発端は一八六九年に最初の回心者が礼拝へ参加するため、雇い主に日曜日の労働を断ったことにある。信仰から生まれたこの行動は、王に勝るものへの忠誠を意味していたので、北部の国王にとっては見逃すことができなかった。これをきっかけに二人のタイ人キリスト教徒が殉教した。第二の弾圧事件は、タイで最初のキリスト教徒同士の結婚式である。当時の結婚の慣しで収められていた家長への「精霊料(spirit fee)」は極めて宗教的要素の強い行為であったため、キリスト教徒の家族はそれを偶像礼拝として退けた。しかし、その金銭は服属儀礼として君主に納めていたため、大きな問題に発展した。 宣教師マックギルバリーはこの問題に対して政治的手腕を用いて解決に乗り出した。彼はこの問題をバンコク王ラーマ五世に訴え、ラーマ五世はこれを王の職務を補佐するチェンマイ担当の長官に戻し、この件に関して勅令を出す権限を与えた。宣教師たちと親しかった長官はこの勅令をキリスト教信者の結婚に限定するのではなく、「一般的な宗教的寛容の主張」のために作成することを提案した。起草された文章はアメリカ領事館を通して国王に届けられ、一八七八年十月八日『宗教寛容令』が発布されるに至ったことが判明した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
当初の計画以上に進展している理由は、タイ史上最初の信教の自由を保障した『宗教寛容令』を日本語で翻訳して紹介し、その成立過程を研究成果として報告したからである。これにより、思想史的に人権理念の法制化過程にキリスト教の影響があるとしたゲオルク・イェリネックのテーゼがタイにおいても観察できることを実証した。プロテスタント教会の教会改革運動の中でカルヴァンによって主張された抵抗権の理念は、英国のピューリタンたちの運動を支え、英国人の権利の保障を求める動きと結びつき、信教の自由を確立させる運動が起こった。タイにおいても、ピューリタン的信仰を持った宣教師マックギルバリーによって、君主のキリスト教信仰への弾圧に抵抗し、政治的働きかけによって法的に信教の自由の確立へと至ったことを思想史的に確認した。 『宗教寛容令』成立に至る関係資料はパヤップ大学に納められていることも発見した。アメリカの大学に散在している宣教師たちの宣教報告や手紙等は全てパヤップ大学にマイクロフィルムで集められていた。これにより、マックギルバリー以外の資料から成立過程に関する情報が入手可能と判明した。 以上のことから、タイ北部にキリスト教人口が多い理由もわかってきた。仏教国であるタイはキリスト教人口が日本同様とても少ない。現在バンコクで1パーセント、その他の地域では0.1パーセント以下である。ところが、タイ北部においては10パーセントを超えており、日本のキリスト教人口の比率を超えている。タイ北部にキリスト教人口が多い大きな理由の一つは『宗教寛容令』にある可能性が強い。 調査の中で、現在タイのキリスト教史の第一人者であるアメリカ宣教師ハーバート・スワンソンとの面談を実現した。スワンソンとの面談により、『宗教寛容令』が擬似信教の自由である可能性を知った。その理由は、勅書が発布された後もキリスト教弾圧が起こっていたことである。
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Strategy for Future Research Activity |
今後の研究の推進方策について、次の三点に絞って調査を行う計画である。第一に「宗教寛容令」の現物を調査する。第二に勅書の公印の出所を調査する。第三に、勅書発布後にキリスト教弾圧が行われた理由を探ることにある。 第一に、「宗教寛容令」の存在は写真におさめられ、タイ教会史の書籍に写真が残されているが、現在その現物が紛失している。マックギルバリーの報告によれば勅書は二通存在し、一通はマックギルバリーが保管し、もう一通はバンコク政府が保管した。マックギルバリーの保管した勅書は彼以後誰がどのように保管したのか不明である。けれども、もしマックギルバリーの証言が正しいのならばもう一通はバンコク政府が保管しているはずである。この点を公文書図書館を通して調査する。 第二に、勅書に印字されている公印が国王の印でない可能性があるので、その公印が政府関係の何の公印であるかを確認する。これは第三の調査にも関わるが、もし国王の印でなければ、勅書が正式の公式文書でないことになり、キリスト教信仰への弾圧が続けられた可能性につながる。 第三に、勅書以後にキリスト教弾圧が行われた事実の確認とその理由を調査する。タイ教会歴史学者ハーバート・スワンソンは、宣教師たちの手の届かない場所でキリスト教徒への迫害が行われていたという証拠を示している。もしその事実が複数あるのならば、次の仮説が考えられる。タイ北部政府は近代化導入のために宣教師を受け入れたが、文化慣習に抗うキリスト教信仰に危機感を持った為政者が統一国家を崩す恐れがあるとしてキリスト教を弾圧した可能性がある。勅書は外交問題に発展しないための政治文書であり、具体的にはアメリカ人を守る安全保障であり、宣教師以外の場所では通用していなかったと考えられる。この事実を確認するために、現地でのキリスト教弾圧の情報を調査する。
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Causes of Carryover |
タイ・パヤップ大学への研究調査を有意義に行うため、当該年度は対象とする資料を定めることに集中し、当該年度のタイへの研究資料調査を次年度に実行することへと変更した。そのため、次年度分として請求した助成金と合わせて使用額に変更が生じた。
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Research Products
(8 results)