2022 Fiscal Year Annual Research Report
明治前期の日本の信号ラッパ―英仏の影響と西南戦争における運用の実態について―
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19K00158
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Research Institution | Shizuoka University of Art and Culture |
Principal Investigator |
奥中 康人 静岡文化芸術大学, 文化政策学部, 教授 (10448722)
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Project Period (FY) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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Keywords | 西洋音楽受容 / 楽器 / ラッパ |
Outline of Annual Research Achievements |
日本における金管楽器製造の歴史は、明治27年に江川仙太郎が始めたことがこれまでの定説(檜山陸郎)とされてきたが、最終年度の課題として、民間におけるラッパ・金管楽器製造を、楽器製造業界の業界誌『楽器商報』や『ミュージックトレード』の記事(過去の金管楽器製造業界についての記事)を手掛かりに、明治期の博覧会記録等にも基づき、錯綜していた情報を整理した(すでに、アジア歴史資料センターのデジタルアーカイブを用いることにより、早ければ明治4年頃、おそくとも明治5年には陸軍工廠においてラッパ(国産の英式ラッパ、国産の仏式ラッパ)が製造されていたことは明らかにされている)。 草創期の金管楽器製造は、東京では明治8年ころから宮本勝之助・市五郎親子が、大阪では、おそらく明治10年代に江名常太郎(江名管楽器)らが、主に舶来の金管楽器(トランペットコルネットの類)の修理、あるいはラッパの製造を手掛けていたことから始まった。かれらは博覧会にもラッパをはじめとする金管楽器(コルネット、アルト、コントラバス等)を出品していた(これは各種博覧会記録から裏付けを取ることができる)。浅草の江川は宮本家にも陸軍工廠にも出入りした形跡があり、明治20年代に独立して製造を開始した。江川楽器製作所は、のちの日本管楽器に引き継がれ、さらにその後、日本楽器製造(ヤマハ)に吸収されたため、ヤマハの金管楽器製造の歴史を振り返るときに、江川がその原点となるのは間違いではない。しかし、日本における金管楽器製造の原点ではなく、江川に先行して存在した民間の楽器製造業者は忘れられたのである。 研究期間を通じて明らかになった成果は、明治期前半の官と民におけるラッパ製造史、および主に西南戦争時に陸軍が用いたラッパ譜(フランスから移入されたものと、日本で作曲・アレンジされたと考えられる)の運用の実態である。
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Research Products
(1 results)