2020 Fiscal Year Research-status Report
A Comparative Study of the Viewpoints in the Works of Beckett and Hitchcock
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19K00162
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
岡室 美奈子 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (10221847)
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Project Period (FY) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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Keywords | ベケット / ヒッチコック / 『フィルム』 / 『裏窓』 / 『カメラ・アイ』 / 視線 / 脳の眼 / 別役実 |
Outline of Annual Research Achievements |
令和2年度はコロナ禍により研究方針の軌道修正を余儀なくされたが、日本でベケットの劇構造をいち早く正確に理解しその影響下に作品を創作し続けた劇作家・別役実の貴重な資料を新たに発見することができたため、新発見資料を精査して別役実によるベケット戯曲の構造分析や空間分析を明らかにし、それを補助線としつつベケットの演劇の構造を考察した。ベケットの場合は演劇と映画、テレビ等のメディア作品の創作方法が密接に関わっているためである。この成果は「祈りの演劇――別役実とベケット」(『ユリイカ』52-12, pp.47-55、2020)などにまとめた。 別役はウジェーヌ・イヨネスコやフェルナンド・アラバールら同時代の不条理劇の分析を通じて、ベケットのドラマトゥルギーが「水平運動」と「垂直運動」の緊張関係にあると指摘した。性的欲望のように日常的・生理的・身体的なものへの志向が意識の「水平運動」、神や死といった絶対的で超越的なものへの志向が意識の「垂直運動」である。すなわち、私たちの日常的な生活を成り立たせている思考や欲望、身体感覚等は水平方向に広がるのに対して、神や死という、日常生活とは異なる形而上的な価値への志向は垂直の方向を指す。日常においてはこの垂直軸は不可視であるが、実は日常は常に非日常へと転換する契機を孕んでいるのである。こうした別役の指摘は『ゴドーを待ちながら』をはじめとするベケットの初期戯曲を念頭に置いて書かれたものであるが、この構造は寝室などの日常的な風景が非日常的なイメージの世界に転換されるベケットの後年のテレビドラマ等のメディア作品にも、より洗練された形で継承されていると考えられる。次年度はこうした視点からもベケットのメディア作品を再考し、ヒッチコックの映画における生と死の緊張関係との比較を試みたい。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
本研究課題は、サミュエル・ベケットの実験的な映画やテレビ作品と、アルフレッド・ヒッチコックの映画を比較検討し、ベケットの映像作品がヒッチコックの影響下に創作されたことを、視線の構造という観点から明らかにすることを目的とするものである。 当初の予定では、令和元年度に、ロンドン生まれのアイルランド系英国人であったヒッチコックと、英国系アイルランド人であったベケットとの、視線や知覚をめぐる思想的・文化的共通基盤を探るため、アイルランドのトリニティ・カレッジと英国レディング大学にあるベケット・アーカイヴ等で草稿や文献の調査を行う予定であった。また、令和二年度には、日本では入手し難い、ヒッチコックのテレビ作品に関する研究資料をアメリカで収集・調査する予定であった。が、いずれもコロナ禍により中止となった。加えて、同じくコロナ禍により大学での勤務管理が困難だったため文献資料整理と入力のアルバイトを雇用することができなかったことから、研究計画の大幅な変更を余儀なくされた。 初年度は、ベケットの『フィルム』とヒッチコック『裏窓』を映画的「語り」を手がかりとして視線のあり方を比較研究し、『フィルム』が『裏窓』への応答として書かれた可能性を指摘した。また、本研究のキーワードの一つである「脳の眼」の源泉を、マルブランシュらの知覚論にまで遡って考察するなど、本研究の基礎固めを行った。 令和2年度は、「研究実績の概要」で述べた通り、別役実の新資料を参照しつつベケットの特異な劇構造や空間構造について考察し、ベケットの映像作品の構造を分析する手がかりを得た。また、映画論、テレビ論を中心に入手可能な文献を精査するとともに、視線の構造や撮影技法に特徴のある、あるいは同時代に製作された国内外の映画やテレビドラマとの比較対照により、テレビ作品を含めて、ヒッチコックの手法の特異性とベケットとの共通点を探った。
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Strategy for Future Research Activity |
令和3年度は、コロナ禍が収束すれば、令和1年度と2年度にそれぞれ中止となった海外出張のうち、ベケットとヒッチコックの視線や知覚をめぐる思想的・文化的共通基盤を探ることを目的とする、英国・アイルランド出張を優先的に実現させたい。 海外での調査が不可能な場合には、令和2年度に引き続き、映画論、テレビ論を中心に関連する文献調査をできる限り緻密に行うとともに、視線の構造や撮影技法に特徴のある、あるいは同時代に製作された国内外の映画やテレビドラマと詳細に比較対照することにより、ヒッチコックとベケットの手法の特異性と両者の共通点を探る。その際、トム・ガニングの言う「フレーム」をキーワードとして、両者における「フレーム」、特に「フレーム内フレーム」の機能を、両者の光学や光学機器への関心に絡めて考察し、ベケットがテレビ作品を「覗き穴の芸術」と呼ぶに至った理由の一端がヒッチコックからの影響にあったことを論証する。とりわけ、『……雲のように……』を中心とするベケットのテレビドラマにおける「フレーム」の機能を、ヒッチコックの映画とテレビ作品におけるフレームの役割を参照しつつ明らかにする。 また、本研究では、登場人物にはコントロール不可能な視線を、単にカメラの視線や映画的「語り」に還元するのではなく、内なる他者の視線として捉え、最終的にはベケットとヒッチコックが創作において意識や理性をいかに超克しようとしたかを明らかにしたい。それにより、これまでの研究では看過されてきたハリウッド映画の巨匠ヒッチコックと不条理演劇の旗手ベケットの作品との共通点を炙り出せると考えている。 令和3年度は最終年度にあたるため、海外の学術誌に英語で投稿する予定である。海外での調査や国際学会での研究発表に関しては、コロナウイルスの感染状況を慎重に見極めて判断したい。
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Causes of Carryover |
当初の予定では、令和元年度に、ロンドン生まれのアイルランド系英国人であったヒッチコックと、英国系アイルランド人であったベケットとの、視線や知覚をめぐる思想的・文化的共通基盤を探るため、アイルランドのトリニティ・カレッジと英国レディング大学にあるベケット・アーカイヴ等で草稿や文献の調査を行う予定であった。また、令和二年度には、日本では入手し難い、ヒッチコックのテレビ作品に関する研究資料をアメリカで収集・調査する予定であった。が、いずれもコロナ禍により海外渡航ができず中止となった。 加えて、同じくコロナ禍により大学で勤務管理をすることが困難だったため文献資料整理と入力のアルバイトを雇用することができなかったことから、予算を消化するに至らなかった。 令和3年度には、コロナ禍が収束すれば英国・アイルランドでの資料調査を実現させたい。収束しない場合は、文献・映像資料の購入のほか、映像資料編集と文献資料整理のためのPCやスキャナ購入、あるいはスキャンサービス使用料等に使用する予定である。
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