2019 Fiscal Year Research-status Report
アイルランド現代演劇/文学における「告白」の表象研究
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19K00461
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
坂内 太 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (60453990)
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Project Period (FY) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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Keywords | 告白の表象 / アイルランド現代演劇 |
Outline of Annual Research Achievements |
本プロジェクトの初年度は、現代アイルランド演劇、特に現在のアイルランド演劇界で大きな影響力を持ち続けているエンダ・ウォルシュの戯曲を対象にして「告白」の表象の現在的な文脈の検討を行った。 これまでの研究や批評では、エンダ・ウォルシュの戯曲が内包する「告白」の表象については殆ど論じられてこなかったが、本研究では多層的なモチーフ(歴史性、フィクションが現実に対して持つ影響力、「敗北の勝利」という逆説的な概念、社会の周辺に追いやられた人々の「声なき声」への着目など)との関連において独特の告白表象を分析した。一見すると荒唐無稽な表現主義的世界を描いていると思われるウォルシュの劇世界が、例えばアイルランドにおける19世紀の大飢饉のような歴史的事件を作品の細部で繰り返し活性化していること、虚構世界の担うヴィジョンが現実を改良し得るという思想が繰り返されていること、長い植民地としての歴史から生まれてきた現実的敗北の根本的な価値転換としての精神的勝利という思想がウォルシュ劇にも深く根ざしていること、サミュエル・ベケットやシェイマス・ヒーニー、ジェイムズ・ジョイスなどの先行劇作家、詩人、作家が行ってきたような社会的弱者への注目と可視化を踏襲しながら、告白する登場人物の精神的変容を模索していることなどを明らかにした。 本研究の最終的目的は、特に前世紀末に教会権威への否定的傾向が強まる一方、カトリック教徒としての精神文化は比較的高水準で維持されているアイルランド文化の特殊性を鑑み、アイルランド現代演劇、文学で繰り返される「告白」の表象とその受容に、教会の世俗的代替物の現在的状況を読み解くことであるが、本年度の研究では、現代演劇におけるそうした状況の一端を示し得た。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
本研究の初年度の当初の計画では、現代アイルランド演劇、文学における「告白」の表象の先駆として、19世紀後半の演劇作品群にまで遡り、当時の社会状況を踏まえて検討する筈であった。しかしながら、初年度末(2020年3月)での現地調査の最中に、新型コロナウィルス感染の広がりと共に現地の公立図書館やアーカイブ類が一斉に閉鎖されたために、調査を中断せざるを得なくなった。帰国後も日本国内の各種図書館が閉鎖されており、また、アイルランドでの現地調査を再開できない状況のまま現在に至るため、文献調査が出来ない状況が続いている。海外研究協力者との面談も一時中断している状況である。現在のアイルランド演劇界における告白表象についても、本来であれば現地での聞き取り調査を広く行うはずであるが、これもまた中断している。 本研究の第二年度の当初の計画は、アイルランド文芸復興期における「告白」様式の台頭と影響を分析、検討することであった。「告白」を通じた個人的苦悩の吐露や浄罪への希望の表象は、アイルランド文芸復興期のナショナリズムや独立運動と結びつき、アイルランド文化本来の発展を阻害された植民地の苦悩や、国家独立の希望の表象と多層的に関わることが、予備的な研究である程度分かっており、ここに現在の告白表象の源流の一つを見出そうとする本研究の仮説には妥当性があると思われるが、現状では現地調査を再開できる目処は立っていない。来年度以降の再開を視野に入れつつ、当面の方向修正が必要になっている。より現実的な研究計画としては、現代アイルランド演劇における告白表象の(初年度の成果とは異なる作品群での)広がりを分析することに意義があると思われるため、現在その準備を進めている。
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Strategy for Future Research Activity |
現在のアイルランド演劇作品の中で絶えず注目され、上演される劇作家の一人にコナー・マクファーソンがおり、その作品群にも、本研究で検討対象とする告白の表象が見られる。マクファーソンの戯曲は日本でも翻訳上演が繰り返され、世界各国の演劇界でも持続的に注目され続けている。本研究の第2年度の計画として、このマクファーソンの戯曲群を取り上げ、告白表象の現在における意義や広がりを分析する。研究リサーチに対するコロナ禍の影響については常に注視しつつ、進捗状況に応じて、現代アイルランド演劇の他の重要な劇作家であるトム・マーフィーやブライアン・フリールの作品群についても検討する予定である。どちらの劇作家も、20世紀初頭に開花した演劇運動の遺産を十分に踏まえ、また、それ以降の現代演劇の文脈を意識的に吸収した作品を書いており、現代アイルランド演劇の重要な指標となる作品を生み出していることから、本研究の対象としてふさわしいと思われる。 マクファーソン作品の告白表象には、教会の告解室に変わる市井の人々による懺悔と浄罪の新様式とも評価し得るような表現が見られる。例えば1997年初演の『堰』(The Weir)は田舎のパブが舞台だが、そこに集まる人々が一人ずつ過去のトラウマを語り合う姿には、単なる大衆の雑談と片付けられない宗教性が暗示されている。同様に、トム・マーフィーの1985年初演の戯曲『バリャガンガーラ』(Bailegangaire)では、老耄の女性と孫娘二人が日ごとの物語と告白を通じて、反目を調和に変えるプロセスに、告白の宗教性が読み取れる。こうした現代戯曲の中に、教会の世俗的代替物としての告白表象の意義を探求する予定である。
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Research Products
(1 results)