2019 Fiscal Year Research-status Report
民衆文化としてのロシア修道聖人伝の史的展開に関する研究ーロシア人の死生観への展望
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19K00467
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
三浦 清美 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (20272750)
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Project Period (FY) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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Keywords | ロシア / 中世 / 聖者伝 / 民衆文化 / 奇跡 / ラドネジのセルギイ / 府主教フィリップ / 超越者 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、中世ロシア聖者伝文学を、ロシア民衆文化の所産として捉え直し、種々の奇跡、幻視、悪魔との戦いの物語など、「この世」と「超越界(天上界、異界、神の世界)」との境界にある諸エピソードを題材に、ロシア人の死生観を歴史的に展望するものである。 そのさい、「この世」と「超越界」の接点に絞って物語のタイポロジー分析を進める手法を取るが、昨年度(2019年度)は、Библиотека литературы Древней Руси. СПб., 1995~を原典として、『ラドネジのセルギイ伝』、『府主教フィリップ伝』を翻訳して、前者を『エクフラシス』(早稲田大学ヨーロッパ中世ルネサンス研究所)、後者を『文研紀要』(早稲田大学文学研究科)に掲載した。そのほか、『ヴォロコラムスク聖者列伝』、『ソロフキのゾシマとサッヴァーチイ伝』の翻訳を鋭意進め、『エクフラシス』の次号に掲載する予定である。考察の対象とする中世ロシア文学の作品研究の基礎である翻訳は着実に進んでおり、研究は順調に進展していると言える。 中世ロシア文学においては、奇跡は「超越者の意志の介入」として捉えられる点が特徴的である。『ラドネジのセルギイ伝』では、次のエピソードが印象的である。裕福な地主が貧しい農民の豚肉を奪い、セルギイがそれを返すよう説得し、一度はその説得に応じるものの、前言を翻し、豚肉を貧しい農夫に返さなかった。すると、冬の厳寒期であったにもかかわらず、豚肉にはびっしり蛆が湧いていて、それを見た裕福な地主は恐怖に陥った。セルギイはまったく暴力的内閣を用いずに、裕福な地主に翻意を求めているが、地主は最終的にはそれに応じず、そこに超越者=神が介入して「正義」が実現される。世界、宇宙のすべての進行を主宰する神の意志は善であるという思想がここに読み取ることができる。これは中世期のロシアに支配的な思想であった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
Библиотека литературы Древней Руси. СПб., 1995~というロシア科学アカデミーロシア文学研究所(プーシキン館)が刊行している中世ロシア文学全集に納められたテクスト、解説、注釈を原典として、考察の基礎となる日本語への翻訳が本研究の採択者によって進展している。 昨年度は、1.三浦清美「中世ロシア文学図書館(XVI)佯狂者アンドレイ伝-翻訳と解題」Waseda RILAS Journal 7, 2019, pp.301-314. 2.三浦清美「中世ロシア文学図書館(XVII)府主教フィリップ伝(上)-翻訳と注釈」『文学研究科紀要第65輯』(2019年度)、2020年、311-325頁。3.三浦清美「中世ロシア文学図書館(XIX)ラドネジのセルギイ伝-翻訳と解題(2)」『エクフラシス』10号、2020年、79-164頁。以上を刊行した。現在、16世紀中央ロシアのの作品『ヴォロコラムスク聖者列伝』、同様に16世紀北方ロシアの作品『ソロフキのゾシマとサッヴァーチイ伝』を翻訳しているが、順調に進展している。 本年度(2019)翻訳した『ラドネジのセルギイ伝』によって、やがてモスクワ大公国、ロシアとなる北東ルーシの聖者伝文学の原点である、離脱と集権化の共存という思想が明らかになり、二つの相反する思想の共存を可能にしていた原点から、来年度(2020)に刊行を予定している『ヴォロコラムスク聖者列伝』では、集権化思想が特化したことがわかったが、離脱思想が優勢な『ソロフキのゾシマとサッヴァーチイ伝』でも集権化思想に振れることがわかりつつある。 以上はロシア人による著作に基づいた考察であったが、来年度(2020)以降は、ヘルベルシュタイン『ロシア雑記』の翻訳も同時に進め、集権化と離脱の分化のプロセスが、外国人からどう見えたのかという視点も取り込む。
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Strategy for Future Research Activity |
14世紀初頭のタタール宮廷を舞台とした、トヴェーリとモスクワの熾烈な陰謀合戦でモスクワが勝利し、「キエフならびに全ルーシ府主教座」をめぐるモスクワとリトアニアの戦争で、府主教座の座所をモスクワが守り抜いたことで、15世紀末にはモスクワの優位が明らかになった(拙著『ロシアの源流』参照)。こうした表だった政治の動きの水面下で進展していたのが、荒野修道院運動であり、荒野修道院運動の精神的所産がロシアという国の国家思想の背骨となったというのが、研究代表者の考えである。 ラドネジのセルギイ、ヴォロコラムスクのヨシフ、ソロフキのゾシマとサッヴァーチイは、この荒野修道院運動をになった修道士であり、彼らの諸作品を分析することによって、国家とキリスト教正教の関係性を明らかにすることが本研究の最重要課題であった。そのとき、指針になるのが、国家がキリスト教正教の守護者である限り国家への忠誠を守るという「集権化」の思想であり、もう一つは、政治そのものを悪と捉えて、そこからの「離脱」が神への真につながるという思想であり、ラドネジのセルギイにおいては、二つの対極はかろうじて共存していたが、モスクワ大公国による中央集権化が進展すると、二つの共存は難しくなり、一つ一つが特化、分化したかたちで、しかしながら、いずれもがモスクワ国家を別な側面から支えるようになった。この歴史の読み筋を本研究は提示してきたし、これからの提示し続ける。 そのさい、「外部の視点」が非常に重要になる。それを提示するのは、ハプスブルグ帝国の外交官、ベルシュタインの主著『モスクワ雑記』である。ロシアはビザンツ帝国から、天上の父なる神(パントクラトール)の地上における代理人皇帝(アウトクラトール)という統治理念を継承したが、それがなかった西欧の視点から、モスクワがどう見えたのかが明らかになるからである。『モスクワ雑記』の翻訳も継続する。
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Causes of Carryover |
コロナウィルス感染拡大のため、2020年3月に予定していたロシア連邦、サンクト・ペテルブルグ市への出張がキャンセルになった。
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Research Products
(6 results)