2022 Fiscal Year Research-status Report
フランス・ロマン主義文学における共属意識に関する総合的研究
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19K00479
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Research Institution | University of the Sacred Heart |
Principal Investigator |
畑 浩一郎 聖心女子大学, 現代教養学部, 准教授 (20514574)
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Project Period (FY) |
2019-04-01 – 2024-03-31
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Keywords | フランス・ロマン主義 / 共属意識 / オリエンタリズム / 旅行記 / ヤン・ポトツキ |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究4年目にあたる2022年度は、これまでの3年間に蓄積したフランス・ロマン主義時代の文学者の共属意識にまつわる知見を土台とし、より具体的なテクスト研究へと移行した。具体的にはヤン・ポトツキの『サラゴサ手稿』(1810年版)の検討である。フランスにおいてロマン主義がまさに芽生えようとしている時期に、ポーランド出身のポトツキによって全編フランス語で執筆されたこの大小説は、本研究のコーパスとして最良の素材となった。 そもそもポトツキ自身が、言語、国籍、宗教といった人間の共属意識を形成する要素において、極めて独自な立点にあることは強調してよい。幼少期にフランス語による教育を受けた彼は、生涯にわたりフランス語によって思考・執筆する。大国による分割により故国ポーランドが地図上から消滅すると、ポトツキはロシア政府へと接近し、自らロシア人を名乗る。現ウクライナにある彼の領地は、オスマントルコにも近く、代々のポトツキ家の領主はイスラーム軍と干戈を交えている。ユダヤ教にも関心を抱くポトツキは、領内のアシュケナージと直接交流し、ユダヤの教義やヘブライ語にも通じることになる。 こうした複雑な背景を持ち、かつ歴史、言語、宗教等に関する、膨大とも言える知識を備えた人物が執筆した『サラゴサ手稿』は、この時代のヨーロッパにおける共属意識の複雑さを、ひとつの比類ない文学作品として体現している。通常、乗り越えがたい壁と認識される宗教、言語、民族の間の境界は、相対的なものに過ぎないという事実をこの作品は雄弁に物語っている。 2022年度は、これらの問題を次の2本の柱を立てることで考察した。ひとつにポトツキ自身の生涯の研究ー書簡、旅行記などーがあり、それを踏まえた上で『サラゴサ手稿』というフィクションにおける人間の共属意識の検討を行なった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
2022年度の大きな成果として、ヤン・ポトツキの『サラゴサ手稿』の日本語訳を3巻本で刊行したことが挙げられる。それぞれの巻末には「訳者による解説」を置き、この小説を読み解く上で「人間の共属意識」がいかに重要となるかを、一般の読者にも分かりやすい形で説明した。これらの3巻本を刊行準備するにあたっては、モンペリエ大学名誉教授のドミニク・トリエール氏に何度もメールで質問を投げかけ、できる限り正確かつ内容の深い情報を提供できるよう心がけた。 その一方で、当初予定していた検討課題に十分な目配りができなかった点も事実して挙げねばならない。本研究はプロジェクトの後半に差し掛かっており、主に次の3つの問題の検討が残されていた。1. ナポレオンの エジプト遠征、2.ギリシア独立戦争、3.レバノンにおけるドルーズ派とマロン派の抗争。このうち3に関しては、一部考察も進んだが、1と2については十分な掘り下げができなかった。 新型コロナウイルス感染拡大のため、予定していたフランスでの現地調査も行なうことが叶わなかった。メールでのやり取りにはやはり限界がある。直接、フランス人の専門家や研究者と交流する中で得られる知見は何にも代え難い。その一方で、新たな研究への扉も開くことができた。『サラゴサ手稿』3巻本の翻訳刊行のプロセスで、ポトツキ家の現当主マレク・ポトツキ氏、ならびにその子息のヤン・ロマン・ポトツキ氏と関係を築くことができ、とりわけヤン・ロマン氏からはこれまで知らなかった数々の事実を指摘してもらった。それらの事実を掘り下げれば、本研究はさらに充実するはずである。
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Strategy for Future Research Activity |
本来であれば3年間の計画であった本研究は、新型コロナウイルス感染拡大のため、2年の延長を受けている。それゆえ 2023年度がプロジェクトの最終年となる。いまだ十分な掘り下げの行なえていないいくつかの課題に取り組むと同時に、これまでの研究自体を総括し、フランス・ロマン主義時代における文学者の共属意識のあり方を明示するというのが、今後の研究推進の基本方針となる。 これまでの研究を遂行する中で、計画の微修正が必要となることが判明してきた。具体的には、「ナポレオンのエジプト遠征」や「ギリシア独立戦争」にまつわる検討は、確かにこの時代の文学者の共属意識にとって重要な視点を提供してくれるが、より優先すべき課題が存在することが分かったのである。それはヤン・ポトツキという特異な作家の研究である。「フランス文学」あるいは「ポーランド文学」といった国民文学の概念そのものを超越するポトツキの著作は、19世紀前半の文学者の共属意識を考察する上で最適な素材となる。これまでは『サラゴサ手稿』という小説の検討に重点を置いてきたが、彼の残した書簡や旅行記などにコーパスを拡大して考察することによって、さらなる充実した知見が得られるはずである。 2023年7月にイタリアのローマで行なわれる国際シンポジウムへの参加も予定している。この機会には、ポトツキと東洋言語ー中国語、満州語、日本語などーの関わりを論じ、この人物が自他の関係をどのように考えていたのかをさらに深く考察する。またプロジェクト最終年を締めくくるため、フランスで現地調査を行ない、当地の専門家や研究者と意見交換を実施する。
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Causes of Carryover |
新型コロナウイルス感染拡大のため、予定していたヨーロッパへの現地調査を行なえなかったため。
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