2022 Fiscal Year Research-status Report
フランス・アンジュー地方から見た百年戦争終結についての研究
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19K01071
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Research Institution | Akita University |
Principal Investigator |
佐藤 猛 秋田大学, 教育文化学部, 准教授 (30512769)
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Project Period (FY) |
2019-04-01 – 2024-03-31
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Keywords | 百年戦争 / トゥール休戦協定 / 当事者 / フランス王 / イングランド王 / アンジュ―公家 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の目的は、百年戦争(1337~1453年)がいかにして終結したのかの問題について、主戦場となったフランス王国の政治構造に内在する王族諸侯の地方的利害という角度から明らかにすることである。 一年目~三年目までの研究を受けて、特に1444年トゥール休戦協定において、戦争と休戦の当事者がいかに記されたのかの問題を休戦協定ならびに二度の平和条約の文言との比較検討を行った3年目までの成果を踏まえて、最終年度は年代記史料を用いて明らかすることを目指した。その際、3年目までの研究によって得られた二つの仮説―(1)15世紀中葉となると和平の交渉や決議内容に英仏王以外のフランス諸侯を中心とする勢力の利害が入り込んだ、(2)その過程で、英大陸領の問題と仏王位継承を中心とする英仏間の争点を解決する上での論点が拡散したことにより和平交渉が妥結しなかった―を念頭に置いて、史料分析を行った。 研究の結果、トゥール休戦協定の取り決め内容を記し、また英仏双方で公表された公式の文書と、様々な背景の下で書かれた年代記史料では、戦争及び休戦の当事者についての表記が微妙に違うことが明らかとなった。その成果に関して、論文「百年戦争末期における当事者の拡散―トゥール休戦協定に関する年代記の記述を中心に―」(仮題)の執筆に取り掛かった。執筆過程では、当事者表記について他の類型の史料の検討も必要と判断しため、研究期間を1年間延長した。 研究実績としては、百年戦争期の和平交渉と休戦交渉のあり方に関する一般向けの記述を1件、百年戦争期の英仏戦闘と交渉の背景であるペスト流行に関して図書(単著)を1件公表した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
1444年トゥール休戦協定について、年代記を中心とする記述史料が休戦そして戦争の当事者をどのように記したかに関して、いくつかの年代記を分析することができた。その際、英仏の全権代表者のあいだで公式に確認された協定取決め文書(パリでは同年6月3日、ロンドンでは同27日に公表、王により批准)との比較検討を軸に据えた。 公式の文書では、休戦の当事者は英仏の王と王国、その封臣と臣下、それぞれの同盟者とその王国、領地、封臣、臣下と記された。これに対して、休戦協定と作成年代が近いと考えられるジャン・モンストルレ年代記は、休戦交渉を英仏二つの王国の間のものと記し、協定内容については上記の公式文書を年代記中に引用している。その続編を自認するマティユ・デスクシ年代記は、休戦協定を英仏双方の王と王国のあいだで締結されたものと記した上で、両当事者をフランス人とイングランド人とも言い換えている。両者では、当事者が英仏を超えて拡がる側面よりも、双方の王国を構成する人々へと焦点が向けられているとの傾向を析出できた。一方で、これらの少し後に残されたと考えられる「パリ市民の日記」とジャン・シャルティエ「シャルル7世伝」では、休戦協定は英仏の王と王のあいで締結されたと記述されている。これは14世紀以前の休戦協定の表記と同じである。さらに1470年代に記されたトマ・バザン「シャルル7世伝」では、王と王国さらに同盟者間の休戦協定として、公式文書により近い表記となっている。 こうして年代記における当事者表記の違いを明らかにすることができた。そこには、戦争や休戦の当事者拡大に関する作者間の認識の違いが表れているといえる。他方で、その違いにはそれぞれの史料が残された時期の違いも関連すると考えられる。この点を論文に組み込むことと、他の史料類型を分析する必要から、論文発表を来年度以降とした。
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Strategy for Future Research Activity |
トゥール休戦協定の当事者に関わる各種史料の分析により、百年戦争を全西欧的な戦乱と捉える公的文書の認識と、王同士の戦争から国民間の戦争まで多様に捉える年代記の記述での認識が併存していることが分かった。当時の少なくともフランス王国においては、こうした戦争の当事者についての認識の食い違いが存在したゆえに、どこの何を解決したら戦争が終わるのか終結点が見えなくなったために、戦争が平和条約の締結というかたちではなく、英軍撤退という事実をもって終息せざるを得なかったという仮説を得ることができた。 この仮説をこれまで分析した公式文書と年代記以外の史料を通じて検討することにより、1444年という英仏の戦争が終息しつつある時期において、この戦争がどのように見なされていたのかを当時の多様な視点から明らかにすることが今後の研究の推進方策の柱となる。分析する史料群としては、大きく二つを考えている。 一つは、トゥール休戦協定の関連文書群である。その公式の取決め文書について前述の通りであるが、それは1444年6月3日、パリ・シャトレ裁判所において王により批准、公表された文書群の一部を成し、そこには英仏の全権大使への委任状や英仏交渉開催までの経緯を記した記載も含まれる。もう一つは、休戦協定の翌年から始まったロンドン和平交渉の関連文書群である。フランスからの使節団による日誌やアンジュー公ルネよる使節団への全権委任状がそれらに含まれ、前年のトゥール休戦協定についても言及がなされている。これらにおいて、トゥール休戦協定の当事者がどのように記されているかを明らかにする。 こうして、15世紀中葉における英仏間の戦争の当事者表記に関する3年目の休戦協定の取り決め文書の比較、4年目の年代記史料の分析、5年目の付属史料の検討のそれぞれの成果については、証書系史料と記述系史料に大別して研究成果を公表する予定である。
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Causes of Carryover |
〔当該助成金が生じた状況〕国内外の学会研究会がおおむねオンライン開催となったこととから、旅費として使用を計画していた予算を使用できず、翌年度に繰り越した。
〔使用計画〕基本としては学会・研究会出張のための旅費として使用を計画している。今年度同様、それが不可となった場合は、研究対象地域であるアンジュー地方史の雑誌購入か百年戦争関連の書籍購入にあてる予定である。
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