2022 Fiscal Year Research-status Report
Institutionalization of geography and bringing up founders of open-air museums in Wales and Ireland
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19K01179
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Research Institution | Ritsumeikan University |
Principal Investigator |
河島 一仁 立命館大学, 文学部, 教授 (90169714)
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Project Period (FY) |
2019-04-01 – 2024-03-31
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Keywords | 地理学の制度化 / 野外博物館 / H.J.Fleure / I.C.Peate / E.G.Bowen / E.E.Evans / アベリストウィス大学 |
Outline of Annual Research Achievements |
地理学史上におけるフルールの評価と彼の講義内容を対照した。ウイザースは地理学創設者“founding fathers”としてチサム、マッキンダー、ブキャナン、フルールを列挙する。彼らの学問的な背景は、歴史学・地質学・人類学・経済学・数学・動物学・民族学・植物学・博物学などである。[C.W.J.Withers (2001)]フルールは1897年にアベリストウィス大学に入学して動物学を専攻し、1910年に動物学の教授になるまでに、地質学・動物学・植物学・地理学の講師を務めている。1918年に地理学の教授に転身するまで地理学も兼任した。ジョンストンとウィリアムスは、20世紀に王立協会の会員となった地理学者はフルールを含む2名にすぎないと指摘したが、彼を地理学者だと明確にみなせるかどうかはわからないとしている。[R.Johnston and M. Williams (2003)]フルールが王立協会の会員になったのは、ウェールズの人種分布を地図化したことによるとリビングストンは述べている。要するに人類学的研究が評価されたのであった。[D.N.Livingston(2003)]ジョンストンは、地理学協会が地理教育に大きな役割をはたし、フルールが1917年から1946年までその代表を務めたと述べている。アベリストウィス大学で地理学の教授になる前から、マンチェスター大学へ転出後も、彼は地理教育に貢献したのであった。しかし、ジョンストンはこの論文でもフルールを“not explicitly as a geographer” としている。[R.Johnston (2003)]1920年代、地理学の中心は地誌学であった。フルールの講義録を見ると、彼が地理学者でもあったことは事実である。二人の弟子がウェールズと北アイルランドで野外博物館を創設したことは彼の学問体系と大きく関わるはずである。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
4: Progress in research has been delayed.
Reason
2019年度にはフルールの出身地であるガーンジー島で資料調査を行なった。戸籍を用いて彼の家族構成を把握し、地元の博物学研究団体の記録をもとにフルールの師弟関係を析出することができた。彼がアベリストウィス大学で海洋動物学を専攻した経緯に関してもほぼ明らかになった。以上の成果をもとに、アベリストウィスにフィールドを移すことを企図した。しかしコロナ禍で渡航を断念せざるを得ず、研究計画の大幅な変更を余儀なくされた。カレンダーをもとにして、アベリストウィス大学における師弟関係をほぼ明らかにすることができたが、わずかな成果に留まった。 2022年度には視点を変えて、21世紀に刊行されたイギリス地理学史の文献をもとに、地理学界によるフルールの評価に関して把握した。イギリスにおける地理学の創設者の一人として評価されながら、地理学者と見なせるかいなかという疑義が提起されていた。この点を踏まえたうえで、地理学を含む大きな体系を有していたフルールの学問をとらえるべきであろう。
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Strategy for Future Research Activity |
コロナ禍で現地に行けず、研究計画を変更することになった。1年間の延長を認めていただき、2023年度にはウェールズと北アイルランドへ資料調査に向かう。野外博物館構想をもちながらいまだに実現できていないアイルランドにも行くことを予定している。この三地域を、野外博物館構想を基軸にして比較することを試みる。 フルールの人生を全体的に捉え、弟子のI.C.ピート、E.G.ボーエン、E.E.エヴァンスらとの関係を明らかにして、地理学史では顧みられることがほとんどない地理学の制度化と野外博物館の創出との関係を明らかにする。 当初の計画を大幅に縮小せざるをえないが、可能な範囲でできるだけの成果を上げるつもりである。年度末には報告書を完成させてこの研究をしめくくる。
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Causes of Carryover |
当初の計画ではイギリスとアイルランドへの渡航を予定していたが、コロナ禍で行くことができなかった。そのため1年間の延長を申請しお認めいただいた。アベリストウィス大学とウェールズ国立図書館、セントファガンス国立歴史博物館、北アイルランドのクィーンズ大学とアルスター・フォーク・交通博物館、アイルランドのアイルランド国立カントリーライフ博物館などでの資料調査を予定していたが、それらを実施することはもはや困難である。 H.J.フルールは1930年にアベリストウィス大学からマンチェスター大学に転出し、1944年に退職した。アベリストウィス大学を卒業し、地理学・人類学部の教授となったフルールがなぜ同大学から離れたのか、またマンチェスターにおける彼の研究と教育は、アベリストウィスにいた頃とは異なるものであったのか否かなどは解明されていない。フルールは退職後も旺盛な研究活動をおこない、諸外国からの勲章を受章している。 コロナ禍で研究計画を大幅に縮減することになったが、彼の生家から死去地と墓までを正確に地図化するとともに、フルールの研究と教育の発展過程を捉えて、野外博物館創設者の育成と地理学の制度化がいかに関わるかを明らかにする。もし可能であれば、前掲のアベリストウィス大学、ウェールズ国立図書館、セントファガンス国立歴史博物館、北アイルランドのアルスター・フォーク・交通博物館でも調査する。
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