2020 Fiscal Year Research-status Report
Tokugawa recoinage policy and Merchants
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19K01778
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Research Institution | Osaka University |
Principal Investigator |
鈴木 敦子 大阪大学, 経済学研究科, 助手 (80547018)
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Project Period (FY) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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Keywords | 東西相場違え / 小判六十目 / 1両60匁 / 公定レート / 金銀相場 / 物価 / 三井越後屋 / 近世市場 |
Outline of Annual Research Achievements |
これまでの研究蓄積によって、三井越後屋の江戸売価設定法「小判六十目之掛法」(以下「掛法」)をほぼ解明することが出来た。「掛法」成立要件は、江戸固定相場:上方変動相場、江戸金遣:上方銀遣、値札としての倍札使用であった。すなわち、「掛法」は江戸小判六十目固定相場と上方変動相場間における東西相場違えを当然の前提として成立していた。解明後の「掛法」は実に理路整然としており、論文執筆も順調に進むと思われた。 しかし、その執筆に及んで先行研究について書く段になった時、重大な問題に行き当たった。近代以降、今日の学問世界において、「江戸小判六十目」という厳然たる近世史上の史実が、当然の前提とされていなかったのである。確かに江戸でも両替商は変動相場で日々の両替業を営んでおり、大半の先行研究は、この江戸の金融変動相場にのみ着目していた。一方、元禄13年の御定相場令を契機に成立した江戸商品市場の六十目固定相場慣例には無知であった。その存在を認める研究者も、1両60目レートを幕府収支に限定したり、あるいは金融変動相場の方に関心が向いていた。 そこでこれまでの研究方針を少し軌道修正し、「江戸小判六十目」を主題化して、論文執筆することとした。なぜなら、江戸時代の二大市場である江戸と上方の市場分析において、江戸小判六十目は不可欠の学問的前提であり、近世期を対象とする今日の日本史・経済史においても、当然の常識とされてしかるべき内容だからである。このことを早急に学界に知らせ、学問的常識として共有することは、この史実を知った者の使命と思われたので、経営史学会で報告した。同時に執筆を開始した論文も、ほぼ完成間近である。これを済ませた後に「小判六十目之掛法」のみにフォーカスした論文を執筆予定である。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
新型コロナウィルス感染症の影響により、三井文庫等における史料調査の比重を抑えざるを得なくなった。だが、研究実績の概要で述べたように、「江戸小判六十目」を主題化したことにより、研究対象期間の方は拡げざるを得なくなった。江戸を中心とする関東商品市場の六十目固定相場慣例は、幕末まで続くものだったからである。それでも経営史学会での報告を良い機会と捉え、その慣例の存在証明に力点を置くことで、まとまりある論旨を形作ることができた。また、最小限の史料調査ではあったものの、問題なく論文作成の骨子を組み立てることもできた。 これまで正札附き現金掛値なし商法だと見られていた三井越後屋が、実は倍札附き掛売商法に比重を置いていたことを「小判六十目之掛法」から導出した成果は、複数の地方紙に取り上げられるニュースとなったが、今度は「掛法」から、金融変動相場とは別に、江戸商品市場では、小判六十目固定相場が存在したことを導き出すことができた。 江戸小判六十目固定相場と上方変動相場間における東西相場違えによって、下り物価格は一律に変化し、たとえば上方が1両50目の銀高相場だったとすれば、江戸に送られる全下り物価格は実に2割高になったのである。こうした物価高は江戸市場の消費活動の冷え込みを誘発し、江戸十組問屋は上方が銀高相場になるたびに、幕府に対して相場是正を歎願する事態となった。 このような史実確認は学問上の一つの発見といえるものであり、大いなる研究成果を得られたものと考える。
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Strategy for Future Research Activity |
現在執筆中の論文「江戸小判六十目」(仮題)は完成次第、ディスカッション・ペーパーとして本研究代表者の所属する大阪大学のwebサイトで公開し、学会誌へ投稿予定である。 また、「小判六十目之掛法」を研究する過程で、江戸時代の公定レートとされた1両60目レートは、いつどのように取り決められたのか、それ以前はどうだったのか、等々を考察する必要に迫られた。この研究によって、今日の日本史・貨幣史において通説となっている幕府初期公定レート1両50目について、疑義が生まれる結果となった。すなわち、幕府公定レートは当初から1両60目だったのではないか、という疑問が生じたのである。この一連の考察に関しては、多くの傍証を提示しつつ、社会経済史学会で報告予定である。学会での報告内容に誤りが見いだされなければ、これも論文として世に問う必要があると考えている。 さらに、これまでの研究成果を海外に対しても発信すべく、参加予定のWorld Congress on Business Historyにおいてペーパーを提出し、オンラインでの報告も行う予定である。 こうした手続きを経た後に、本研究の最終目的ともいえる課題に着手する。すなわち、混迷を極めた幕府初期改鋳政策の中で生まれた江戸売価設定法である「小判六十目之掛法」が、近世日本経済史・経営史の中で確固とした地位を与えられるよう、論文としてその詳細を紹介・提示する予定である。これによって、近世期の幕府貨幣政策に対する商人の動態的実像がより鮮明に浮かび上がるものと確信している。
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Causes of Carryover |
次年度使用額が生じた理由:新型コロナウィルス感染症の影響により、史料所蔵館での調査機会が制限された。また、研究報告を行うために応募し、採択された社会経済史学会やWorld Congress on Business Historyは翌年度に延期された。これらの理由により、当初の旅費執行計画を変更し、データ保存などの物品購入に充当することとしたが、若干の未使用残高が生じた。 使用計画:次年度使用額は主に物品費として使用予定である。
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Research Products
(2 results)