2019 Fiscal Year Research-status Report
Transformation of "light" machine industries of postwar Japan
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19K01795
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Research Institution | Nanzan University |
Principal Investigator |
澤井 実 南山大学, 経営学部, 教授 (90162536)
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Project Period (FY) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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Keywords | 軽機械 / カメラ / ミシン / 双眼鏡 / アメリカ市場 |
Outline of Annual Research Achievements |
本年度は第1に、カメラの対米輸出における現地ディストリビューター依存体制から直販体制への転換について検討した。現地ディストリビューターの動向を知るためにアメリカにおけるカメラ業界雑誌の関連記事を収集した。その結果、1950・60年代のアメリカのカメラ流通業界では、数十社あったディストリビューターが10社前後の有力ディストリビューターに集約されていったことが分かった。これらの有力ディストリビューターが日本製品をどのように位置付けていたのかがまず問題になるが、この点に関しては日本貿易振興会関連の海外市場調査、アメリカにおける多数のコンシューマー・レポートなどをベースに関連資料を分析した。またディストリビューター依存体制から直販体制への転換過程は日本のカメラ流通に関連する商慣習がアメリカの慣習に適応する過程でもあったが、これについてはアメリカの裁判資料などを検討した。 第2に、ミシン生産におけるアセンブル・メーカーの動向を検討した。1950年代には通産省の支援もあって順調に生産を拡大したアセンブル・メーカーであったが、1960年代に入って一貫メーカーが本格的に輸出市場に参入すると、アメリカ市場において独自の流通ネットワークを持たないアセンブル・メーカーの不利性が顕在化した。ただし関西における一部のアセンブル・メーカーはアメリカのミシンメーカーのOEM生産を担うことで独自の発展を遂げた。また一貫メーカーのアメリカ市場における知名度はいまだ低く、一貫メーカー製品の市場浸透には限界が画されていた。一方アッセンブル・メーカーに部品を供給するミシン部品メーカーは強靭性を発揮し、その納入先をミシンから自動車や家電メーカーへと転換していった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
カメラのアメリカ市場における流通分析では業界雑誌の日本製カメラに関する記事がきわめて有用であったが、大きな業界再編を経験した現地ディストリビューターの経営分析は資料的に難しく、さらなる資料収集が必要である。 次に大手カメラメーカー各社の研究開発を支えた人材面の要因を分析した。高度成長期の日本光学工業の役員には東京帝国大学工学部造兵工学科出身者が多いが、こうした事実はすべてのメーカーに当てはまる訳ではない。戦前から戦後の大学(含む高等工業学校)工学部・理学部卒業者が精密機械・光学技術の革新に果たした役割についても検討した。また陸海軍技術者のカメラや時計産業への就職が相次いだが(技術者の軍民転換)、こうした旧陸海軍技術者の生産技術、工場管理の革新に与えた影響についても検討することができたが、いくつかのエピソードをみたにすぎず、より多くの事例分析が必要である。 また1950年代後半に軽機械製品の対米輸出が急拡大するなかでまず問題となったのが、低品質製品の乱売問題であった。通産省は品質問題に対しては輸出検査体制を整備し、乱売問題に対してはフロアプライス制などの価格統制を敷いた。しかし価格破りが横行したため、買取機関の設置、生産業者、輸出業者の登録制という参入規制、換言するとカルテル体制を構築することで“秩序ある輸出体制”の実現を目指した。この“秩序ある輸出体制”については、カメラと双眼鏡の異同について明らかにできたものの、カメラについて業界が主張するほどに“秩序ある輸出体制”が実現されたかについては、なお検討の余地が残されている。
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Strategy for Future Research Activity |
第1にいわゆる「四畳半メーカー」を含む中小カメラメーカーの動向をより詳しく検討する。カメラメーカー数は1937・38年には10社前後と推定されたが、50年に約40社、51年に約60社、53年に約80社と急増した後、景気後退によって54年末には65社程度に減少した。1950年代から60年代に活躍する中小カメラメーカーの動向に注目する。中小カメラメーカーの経営の盛衰を探ることを通して、日本の寡占的なカメラ産業の特質に光を当てることができるものと思われる。研究開発、生産技術、国内外の販売体制、兼業生産、電子化への対応などの諸課題に対して、人的制約の厳しい中小カメラメーカーはどのように対応したのか、あるいはできなかったのか。それらの諸点の解明は、1950・60年代の中小カメラメーカーが直面した経営課題の実態を明らかにすることでもある。 第2に、蛇の目ミシン、ブラザー工業、東京重機工業の3社を対象に高度成長期における大手ミシン企業の生産体制の整備と外注管理の特質、協力工場の動向を明らかする。国内市場での基盤を確立した後、大手ミシン企業は輸出体制の整備を急いだ。そこでは内外需の動向に敏速に対応できる量産体制の整備が最大の課題となった。量産体制を整備する場合、ミシン部品の内製と外部調達のバランスをどのようにとるかが問題となる。同じミシンでも家庭用ミシンと比較して多種少量生産を特徴とする工業用ミシン生産の場合は自家生産や半製品を購入してそれを加工する度合いが高く、家庭用ミシンでは完成部品の購入割合が大手企業でも高かった。こうした製品別の違いに留意しつつ、大手ミシン企業それぞれに独自な量産体制の整備と下請管理の実態を明らかにすることがここでの課題である。
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Causes of Carryover |
予定していた資料収集のための出張が新型感染症により中止となったため、78,954円の次年度使用額が発生いたしました。全額、次年度の出張旅費に充当する予定です。
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