2020 Fiscal Year Research-status Report
近世九州における彫物の独自性に関する研究-伝播経路による検討ー
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19K04823
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Research Institution | Kumamoto University |
Principal Investigator |
伊東 龍一 熊本大学, 大学院先端科学研究部(工), 教授 (80193530)
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Project Period (FY) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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Keywords | 彫物 / 彫物師 / 大工 / 仏師 / 伝搬 |
Outline of Annual Research Achievements |
熊本における彫物の中世における萌芽ともみなされる湯前・大師堂の彫物を手掛けた賀吽に関連する調査を実施した。御大師堂の彫物は、須弥壇の格狭間に入る薄肉彫で、天正9年に関東常州住の賀吽の手になる。調査の結果、須弥壇は、その間口は当初のままであるが、奥行方向は切縮められており、格狭間の彫物は奥行方向に3枚あるが、向かって左側は、最も奥の彫物は、右側が切縮められていることが判明した。おそらくこの堂本来の須弥壇ではなく、この堂に合わせた大きさに切断したものとみられる。この切断のために、左側に彫られた「魚」の右に何が彫られているのかが分かり難くなっている。一方、須弥壇右側の奥の格狭間は失われている。 また、文献調査を実施し、九州の仏像・神像等の銘文から中世の仏師・彫物師のリストの作成に着手して、先の賀吽については熊本県の湯前・多良木・あさぎりの3町にのみ元亀3年(1570)~天正13年(1585)の15年間に11作品」が現存することが判明した。そのうちには絵師として関与したものもみられた。彫物としては、元亀3年の大久保阿弥陀堂の阿弥陀如来像・同台座、勢至菩薩像台座・神像台座等があり、これらの場合、墨書等の肩書はほとんどが「作者」とされる。また、「権大僧都」を名乗っていて、「賀吽房」あるいは「頼賀」とも称しており、単なる職人ではなく、僧であって、宗教者としてこの地に関わることになったことが推定される。 さらに熊本県大津町の中島日吉神社本殿の大彫物を元禄14年(1701)に彫った大工棟梁・高田孫三郎の居住地「新大工町」は、熊本城下町の外側、白川に架かる長六橋の対岸にあった新大工町である可能性が高い(『熊本市史』通史編)。墨書から検討すると、熊本北部(現・植木町付近)の大工の下で新大工町が仕事をしたことがわかり大彫物の伝播の流れの一つと想定できそうである。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
コロナ禍の影響で県内外の現地調査を実施し難い状況であったこともあり、とくに関東方面の現地調査ができず大きく計画を変更せざるを得なかったのが大きな理由である。しかしながら、その一方で、美術史研究者の協力を得ながら、文献的な調査を熊本県内を中心に予想以上に進展させることができた。研究を予定通り進められなかった部分と思わぬ進展をみた部分を合わせて総合的に考えると上記のような進捗状況になると考えた。
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Strategy for Future Research Activity |
関東方面の現地調査ができていないことについては。最終年度である来年度は、賀吽の居住地である茨城県を現地調査を行い、周辺の中世遺構を調査し、伝搬経路を把握することとしたい。 一方、中世までの関東の遺構は数が限られ、伝搬経路を明らかにするために必要な作成年代や工匠名等を明らかにする棟札や墨書銘等は、すでに調査され文献として公刊されているものも少なくないと思われる。現地調査に先立って、常州を中心とする関東方面の中・近世の工匠名を文献調査から整理したうえで、建造物の彫物の調査を実施しする。 また、熊本・九州の工匠や彫物の状況について、最終年度においては近世の状況を中心に調査を進めたい。 以上をまとめることで、本研究の成果としたい。
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Causes of Carryover |
コロナの影響が大きく、関東とくに茨城県の現地調査ができず、九州内の現地調査も十分にできなかったためである。今年度は、コロナの状況が良い時期を見極めて、調査を実施する。そのために調査前の準備を十分に行うことにより効率的な調査を実施して成果を上げたい。
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