2020 Fiscal Year Research-status Report
The Repertory of the King's Men and Relationships among Boy Actors
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19K13098
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Research Institution | Chuo University |
Principal Investigator |
木村 明日香 中央大学, 文学部, 助教 (70807130)
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Project Period (FY) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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Keywords | 少年俳優 / シェイクスピア |
Outline of Annual Research Achievements |
2020年度には第58回シェイクスピア学会(2019年10月於鹿児島国際大学)で報告した内容に加筆修正をした論文、「『オセロー』4幕3場におけるSingingとUnpinning」を『紀要:言語・文学・文化』第126号(中央大学文学部刊行)に寄稿した。本論文は有名な「柳の唄」の場面で、デズデモーナが歌を歌っている最中に、侍女のエミリアが彼女のドレスのピンを外し衣装の着替えを手伝うという複雑な演出がなされていることに着目し、これを二人の少年俳優の共同作業として読み直した。まず同年代の戯曲を引きながら、台詞と歌を行き来するデズデモーナの歌唱法と、舞台上でドレスのピンを外すというアクションがいずれも珍しく、少年俳優たちのし慣れない作業であったことを示した。その後、戯曲の精読を通じて、シェイクスピアが少年俳優たちにかなりの即興の余地を与えていることを論じた。クライマックス直前の重要な場面にこのような余地を与えていることは、シェイクスピアが少年俳優たちにかなりの信頼を寄せていたことを示しており、また二人の少年俳優が歌を歌いながら着替えをする光景が楽屋での二人の関係性を示すようなメタシアトリカルな瞬間だった可能性も指摘した。そのほか、Shakespeare Studies第59巻(日本シェイクスピア協会刊行)に『ヘンリー八世』(2020年2月上演、彩の国さいたま芸術劇場)の英文劇評を寄せた。日本人には馴染みの薄い宗教改革前後のイングランドにおける権力政治を題材にした歴史劇であるにも関わらず、蜷川演出のわかりやすさを継承した内容になっており、全体として満足のいく内容だった。一方、悪役であるウルジー枢機卿について、欺瞞と同性愛を結びつけるような表象がなされており、この点については批判を行った。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
2020年度はコロナ禍により渡英ができず、十分な研究ができなかった。特に一次文献の利用に大きな支障が出た。『オセロー』に関する論文は、少年俳優同士の関係性に注目して戯曲を再読することの有益性を示すものになったと思うが、同じアプローチが果たしてシェイクスピアの他の戯曲や、国王一座によるレパートリー全般に応用可能なのかどうかもさらなる検証が必要である。一方、2020年度は延期になったが、シェイクスピア学会のセミナーにおいて本研究と直接関わりのある内容で発表する予定もあるので、2021年度は遅れを取り戻せるよう、研究を進めていく。
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Strategy for Future Research Activity |
2021年度は先述したセミナー発表において少年俳優に注目した発表を行う予定である。具体的にはThomas Middletonの中期喜劇More Dissemblers Besides Women (1621?) を扱う。本作品については前年あたりに再演されたJohn Websterの有名悲劇The Duchess of Malfiとの類似性が指摘されており、MiddletonがWebsterの悲劇を念頭に喜劇を執筆したことはほぼ疑いない。Websterの悲劇の再演についてはキャスティングを記した登場人物表が残っており、これによると主人公のモルフィ公爵夫人を演じたのはRichard Sharpeだが、彼はMiddletonの喜劇でも主人公のミラノ公爵夫人を演じた可能性が極めて高い。また公爵夫人に侍女がおり、性的に放埓な女性が登場するという構図も両作品に共通しており、残り二人の少年俳優についてもおそらく両作品で類似の役を演じたと考えられる。まずはこれら二人の少年俳優を特定することが可能かどうかを探り、またRichard Sharpeについてもできるかぎり伝記事項、他の劇で演じた可能性のある役などを洗い出すことから始める。次に、二つの作品には女性の貞節に異様にこだわる独身男性が登場するという共通点もあるが、この二つの役もJoseph Taylorが演じたという仮定を立て調査を進める。最終的には、本作品の最大の見せ場である小姓(に変装した女性)の出産の場面について、これをWebsterの悲劇における公爵夫人の出産の場面と結びつけ、先輩の少年俳優が、後輩の少年俳優に最も究極的な形で女になる演技(妊娠・出産)を指南した可能性があるか、あるいは小姓が強制的にダンスをさせられて、陣痛が始まるというグロテスクな展開を、少年俳優同士の「新人いじめ」として読めるかどうかを検証したい。
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Research Products
(3 results)