2021 Fiscal Year Research-status Report
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19K13324
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Research Institution | Hokkaido University |
Principal Investigator |
井上 将文 北海道大学, 文学研究院, 専門研究員 (60791126)
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Project Period (FY) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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Keywords | 移民 / 北海道 / 酪農 / 拓殖 / 経済更生計画 |
Outline of Annual Research Achievements |
「戦中期における海外移民政策の展開と北海道」と関連して、研究者は、以下の3点について明らかにした。 ① 昭和初期留萌地方における酪農経営の確立過程について明らかにしその成果を論文として『酪農乳業史研究』に投稿し、掲載が確定した。拓務省によるブラジル移民政策が本格化し、北海道からの海外(ブラジル)への移民が急増した1930年代初頭、留萌地方では、農村部からの人口流出が顕著となっており、その一因は小平蘂村にみられるように、ブラジル移民の増加にあった。このため、留萌地方では、町村内部の有力者によって農村人口の定着を目的として酪農経営の導入が試みられ、結果、留萌中部(苫前村古丹別地方)を中核とする酪農地帯が形成されるに至った。 ② 昭和初期における勇払原野の開発過程について明らかにし、2022年3月28日の日本農業史学会において、その成果を報告した。拓務省がブラジル移民政策を本格化させる一方で、北海道では、主に胆振支庁と苫小牧町、安平村によって勇払原野への移民事業が推進され、結果、北海道の内外から新規移民が勇払原野へと入植した。 ③ 大正後期~昭和初期の渡島地方及び網走・北見地方を対象とした酪農事業の確率過程について明らかにし、その成果を『農業史研究』に投稿し、掲載となった。昭和初期において網走・北見地方は、凶作被害が甚大であった関係で、ブラジル移民が激増していた。このため同地方では、農家の流出阻止の観点から、米作から酪農への転換を推し進められた。他方、日中戦争期に「満洲国」へと指導者層を輩出した渡島支庁管内の八雲町では、他の町村に先んじて酪農を主体とする営農(主畜農業)の確立が志向され、酪農経営基盤の整備が進められた。 ※ このほか、2022年3月28日に「戦前期北海道における酪農政策体系の確立」(『農業史研究』第55号、2021年)が、日本農業史学会奨励賞に選出された。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
かつて、研究者は、論文「昭和戦前期北海道における農業移民政策の競合」(『史学雑誌』129編12号、2020年)において、拓務省主導の海外(ブラジル)移民政策が、北海道各地からの人口流出を後押ししていた点を明らかにした。主に、2021年度の研究では、国内外への人口流出が特に顕著であった地域(網走・北見地方及び留萌地方)において、人口を定着させるための手段として酪農経営が推進されていた点を明らかにすることができた。昭和初期の北海道において酪農奨励は、北海道第二期拓殖計画(第二期拓計)のもとで新規の農業移民を受け入れていた関係上、農業人口を定着させる手段としての側面が強かった。つまり、昭和初期の北海道において酪農政策は、ブラジル移民政策や「満洲移民」政策といった海外移民政策の対角線上に位置づけられるものであった。 加えて、海外移民政策の本格化は、北海道の移住地的価値の低下につながるものであったが、勇払原野開発の推進過程を通じて、当該期の北海道の移住地的性格をより明確にすることができた。このことは、昭和初期の北海道が海外移民の増加傾向にあった一方で、移住地(新規移民の受け入れ地)として重要であったことを示すものであった。
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Strategy for Future Research Activity |
今後は、石狩地方や十勝地方の各町村を対象に、日中戦争期に「満洲」方面に持ち込まれていくことになる、先駆的な営農手法(特に、酪農経営に関する技術)が培われていく過程について明らかにしていきたいと考えている。 日中戦争期以降の「満洲国」では、家畜の導入を重視する営農=有畜農業推進の観点から牛馬の導入が志向されるとともに、北海道の各町村から農事指導者層が入植していった(井上将文「戦中期「満洲国」における北海道庁出身官吏と北海道出身酪農家」『北大史学』59号、2019年)。「満洲国」へと入植した農事指導者層は、サイロ建設、飼料栽培といった先進的な営農技術を「満洲国」へと持ち込み、一般移民への普及を図った。ここで着目したいのが、このとき、乳牛の飼養などに関わる一連の技術を持ち込んだ農事指導者(「実験農家」)の出身地域である。石狩地方や十勝地方といった地域から入植してきた「実験農家」たちが先進的な技術を「満洲国」へと導入したことは、これらの地域において、酪農経営に関わる先駆的な営農技術が培われていたことを裏付けている。「満州」方面に持ち込まれていく営農技術が北海道において培養されていく過程を明らかにすることは、北海道から他地域への技術移転の歴史を把握する作業として、重要と考える。
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Research Products
(4 results)