2020 Fiscal Year Research-status Report
北宋軍事基盤と西北「辺境軍事社会」の東部ユーラシア世界における歴史的意義
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19K13368
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Research Institution | Osaka University |
Principal Investigator |
伊藤 一馬 大阪大学, 文学研究科, 招へい研究員 (90803164)
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Project Period (FY) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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Keywords | 北宋 / 辺境軍事社会 / 東部ユーラシア / 軍事基盤 / 西兵 |
Outline of Annual Research Achievements |
本年度は,昨年度に引き続き北宋軍事指揮官の伝記史料・墓誌史料を蒐集・整理し,特に仁宗期以降の軍事指揮官の分析を行ったほか,10~12世紀における東部ユーラシアの国際情勢や北宋の対応,およびその変動・展開の中で,北宋の軍事行動を支えた軍事基盤がいかなるものであったかを検討した。 北宋の成立直後から契丹との盟約が成立する11世紀初頭までの時期は,北宋にとっての最大の脅威は北方の契丹(遼)であり,契丹と接する河北・山西地域が北宋の軍事力の供給源となっていた。また,指揮官には沙陀・ソグド・吐谷渾・奚などの遊牧系武人も見られ,遊牧集団も禁軍の部隊を構成していた。 その後,11世紀半ばに勃発した西夏との軍事衝突を契機として,西夏と対峙する陝西・河東地域の軍事的重要性が高まると,これらの地域出身者が北宋軍事力の中核を担うようになった。陝西・河東地域にはタングート・チベット系集団の蕃部が散居しており,彼らを熟戸として帰属させ,精強な軍事力である蕃兵を編制することは,北宋にとって最重要課題となっていた。また,陝西・河東地域出身の武人や蕃将も指揮官として台頭するようになった。 北宋は西夏と12世紀まで和戦を繰り返し,絶えず軍事的緊張が続いていた。西夏と対峙する軍事力は「西兵」として重視され,対西夏戦線のみならず北方の対契丹・対金戦線や南方の対ベトナム戦線,儂智高の乱や方臘の乱などの反乱の鎮圧など各地に動員されており,北宋の軍事情勢を広く支える存在となっていた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
新型コロナウイルスの感染拡大により,中国やロシアでの現地調査・史料調査は見送らざるをえなかったが,東部ユーラシア情勢と連動した北宋期を通じた軍事基盤の変遷についてはおおよその見通しを得ることができた。
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Strategy for Future Research Activity |
これまでと同様に諸史料の蒐集・整理を進めるとともに,北宋の西北辺境軍事社会におけるヒト・モノ・カネの動きや全国的物流・全国的市場との関わりを時期を区切りつつ検討する。また,石窟題記銘文などの仏教史料の分析を通じて,西北辺境軍事社会における仏教・軍事・蕃部・経済の結びつきを探る。 海外での調査については,新型コロナウイルスの感染状況,中国やロシアの現地の状況を見極めつつ,現地調査・史料調査の可否を検討する。
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Causes of Carryover |
新型コロナウイルス感染拡大の影響により,海外での現地調査を断念せざるを得ず,また国内での学会・研究会もほぼオンライン開催となったため,次年度使用額が生じた。新型コロナウイルスの感染状況やその影響を見極めつつ,海外旅費・国内旅費の使用を検討する。
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Research Products
(4 results)