2019 Fiscal Year Research-status Report
第一次世界大戦前夜ボスニア・ヘルツェゴヴィナ施政にみるハプスブルク支配の諸相
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19K13396
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Research Institution | Fukuyama University |
Principal Investigator |
村上 亮 福山大学, 人間文化学部, 講師 (80721422)
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Project Period (FY) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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Keywords | ハプスブルク帝国 / ボスニア・ヘルツェゴヴィナ / サライェヴォ事件 / 第一次世界大戦 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、第一次世界大戦前夜におけるハプスブルク帝国の支配の特質をボスニアの併合からボスニア憲法の制定に至る過程を糸口として浮かびあがらせることを目指すものである。本年度は、ウィーンにおける調査において、本研究において注目する人物の一人、オーストリア上院議員ヨーゼフ・マリア・ベルンライターの個人文書や著作、ボスニア憲法に関わる文書群を収集した。現在、その読解に努め、論文にまとめる作業を進めている。これに関連して、本年度は2つの論考を発表した。 1点目は、ベルンライターの同僚ヨーゼフ・レートリヒがボスニア憲法制定に際し、帝国首脳に提出したボスニア憲法に関する覚書に関するものである(「ヨーゼフ・レートリヒのみたボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合問題 ――二重制における自治をめぐって――」 『スラヴ研究』第66号、125-150頁)。本稿で明らかにしたのは、①オーストリアとハンガリーの間でボスニアの法的立場をめぐる対立があったこと、とくにハンガリーがボスニアの包摂に固執していたこと。②①の問題ゆえに、併合に必要とされた法整備ができなかったこと。③レートリヒ自身は自治について理解を示す人物であったが、ハプスブルク独自の国制(二重制)のもとでは、ボスニアに付与しうる自治には限界があったことを明らかにした。 2点目は、ボスニア施政の歴史的評価の変遷と関わる問題として、サライェヴォ事件の犯人ガヴリロ・プリンツィプの評価の推移を跡付けたものである(「ガヴリロ・プリンツィプ像の過去と現在――第一次世界大戦開戦100周年からの回顧――」『社会科学』第49巻4号、133-159頁)。本研究に関係するところでいえば、①プリンツィプの像は、政治情勢の変化と連動する形で、英雄とテロリストの間で揺れ動いていること。②テロリストとする見方とハプスブルク統治への称賛が連動していることを明らかにした。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
この判断の理由として、中心的な課題と副次的な課題の双方において進展がみられたことである。まず本研究の基盤のひとつをなす、レートリヒに関する論考を発表できたことをあげたい。本成果により、ボスニア憲法の制定のハプスブルク国制における意義を明らかにすることができた。つまり、二重制の現状維持という面では大幅な自治を与えられない面と、ハプスブルク本国の民族問題や外交と深くつながる南スラヴ問題に鑑み、一定の自治を与えねばならない面のせめぎあいを浮き彫りにできたからである。この2つの側面は相互に深く結びついていながら、先行研究では十分に鑑みられてこなかった。 また昨夏に実施した現地調査により、次の段階に位置づけているベルンライター関係の著作、ボスニア憲法の制定過程に関する未公刊文書を入手することができた。さらにハプスブルクによるボスニア支配の評価の変容の過程を検討するため、サライェヴォ事件の犯人プリンツィプの捉え方を跡づけた論考も発表することができた。 なお本科研と間接的につながる成果については、サライェヴォ事件に端を発する第一次大戦の開戦責任問題である。ハプスブルクによるボスニア統治の評価とサライェヴォ事件の犯人の評価は表裏一体であり、その都度の国際情勢によって揺れ動いている。実際、大戦までの経過を詳述した、クリストファー・クラーク『夢遊病者たち』には、ハプスブルク支配への積極的評価が記され、それは大戦の開戦責任と結びつけられているのである。この点をふまえ筆者は、前掲の成果に加え、「第一次世界大戦をめぐる開戦責任問題の現在――クリストファー・クラーク『夢遊病者たち』によせて――」 (『ゲシヒテ』(ドイツ現代史研究会) 第12号、35ー43頁)を発表した。これは研究史をおさえつつ、クラーク書のもつ問題性をバルカンからの視点で浮かび上がらせたものである。
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Strategy for Future Research Activity |
第一は、現在すでに開始しているベルンライターとボスニア統治に関する調査を進め、これを論考にまとめることである。1点目は、彼の回顧録ともいえる『政治的日記の断片 世界大戦以前の南スラヴ問題とオーストリアハンガリー』である。ここでは複数回にわたってボスニア統治の現実を見聞した際の印象のみならず、当時の外交についても詳細に知ることができる。2点目は、併合後のあるべきボスニアの政体を提言した、Bosnische Eindrucke. Eine politische Studie(Wien, 1908)である。この文書は現地訪問における彼の知見と当時の政治情勢をふまえて書かれた貴重な史料であり、これを読み解くことによって、従来の考察とは別の角度から、併合から憲法制定にむけた動きをたどることができるだろう。 第二は、第一の成果をふまえ、ボスニア憲法の制定過程を共通外務相エーレンタールの視座から整理することである。具体的には、オーストリア国立文書館に残された未公刊文書を活用し、帝国内の諸機関の調整役として憲法制定への軌道を敷いたエーレンタールの動向を中心に分析する。 第三は、ハプスブルクによるボスニア統治を同時代的文脈におくため、当時の日本の台湾総督府から派遣された官僚が見たボスニア統治像を論文として整理することである。具体的には、市島直治『ボスニイン、ヘルツイゴヴイナ國拓殖視察復命書』(臺彎総督府民政部殖産局、1907年)を手がかりとして、同時代の日本人がみたボスニア統治像を浮き彫りにすることで、植民地比較史のなかに位置づける試みである。 なお以上については、引き続き現地調査が必要であるものの、すでにおもな史資料については収集しており、コロナウィルス問題で今年度に現地での文書館調査が不可能になった場合でも論考にまとめる作業は可能な状態であることを付記しておきたい。
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Causes of Carryover |
今回若干の剰余金が出た理由は購入予定の書籍の刊行が延期になったためである。2020年度はこのような事態を想定して、購入計画を立てることとしたい。
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