2019 Fiscal Year Research-status Report
A shifting construct of friendly and unfriendly relations between Japan and Korea in the Early-modern era -Negating the portrayal of the "Good Neighbor era"-
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19K23106
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Research Institution | Nagoya University |
Principal Investigator |
李 炯周 名古屋大学, 人文学研究科, 博士候補研究員 (00844862)
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Project Period (FY) |
2019-08-30 – 2021-03-31
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Keywords | 裁判役 / 対馬藩 / 日朝関係 / 日朝交渉 / 善隣友好 |
Outline of Annual Research Achievements |
近世の約260年に渡る日朝関係は善隣友好関係として描かれる。但し、この善隣友好というのもその裏には日常的な葛藤や対立が存在していたし、絶えず発生する葛藤や対立を円満に解消させるための努力が存在したからこそ善隣友好関係が維持・再生産されていたと言える。 そこで、本研究では対馬藩の裁判役(対馬藩の交渉担当者)に焦点を当てて事例分析を行った。まず日朝間である交渉事案が発生した際に対馬藩の裁判が倭館へ派遣され、事案が解決に至るまでの過程を復元した。そして、その中から裁判役が果たした役割を分析し、善隣友好関係がどのように維持・再生産されたか、また裁判役は関係の維持・再生産にどのように寄与したかについて考察した。 具体的には寛政年間の事例を分析した。寛政3年、倭館の使者客舎が老朽化し、対馬藩では館守(倭館の総括者)を通じてその補修工事の実施を要求していた。しかし、寛政6年になっても工事の着手には至らず、交渉は膠着状態に陥っていた。そこで対馬藩当局の判断によって河内徳左衛門も裁判役として補修工事交渉に投入されることになる。河内の倭館到着以前から交渉を担当していた館守戸田頼母は強硬な態度で倭学訳官(朝鮮の日本語通訳)との交渉に臨んでおり、河内はこの葛藤によって更に膠着状態が深刻化することを懸念していた。そこで河内はこの交渉を一任された後、対馬藩の役人でありながらも、むしろ朝鮮側の主張を受け入れて館守を説得する。もちろん、朝鮮側の主張をそのまま受け入れるのではなく、両者の主張の間で折り合いをつけることにつとめた。いわば「対馬藩側⇔裁判役⇔朝鮮側」のような折衝構図である。この河内の折衝により交渉は対馬藩側と朝鮮側の主張が折り合う形で収束され、事なきを得ることに成功した。 対馬藩の役人でありながらも片方に肩入れせず「双方順便」を図ること、それが善隣友好関係に寄与した裁判役の役割であった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
丹念に史料分析を行いながら研究を進めている。上の研究実績については韓国の学会誌への投稿を考えており、論文(韓国語)を作成している。
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Strategy for Future Research Activity |
裁判役が交渉に投入されても妥結に至らなかった事例も存在する。このような事例分析を通じ、日朝間の葛藤や対立が消滅される過程で、どのような要因が有効性を持っていたかを検出していきたい。 なお、新型コロナウイルス事態が緩和すると、積極的に史料調査(国会図書館・韓国国史編纂委員会)に取り掛かりたい。
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Causes of Carryover |
史料調査の旅費や複写費用等として使用。 また、マイクロフィルム購入費用として使用。
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