Research Abstract |
第二次世界大戦後戦後,日韓両国とも米国の影響下で,原子力利用計画が進められたが,その重要部分が秘密裏に行われたため,十分な相互理解が得られていない.本研究の目的は,韓国の研究者の協力を得て,共通の問題意識によって歴史過程の解明に当たり,正確な相互理解を得ようというものである. 平成21年3月の国際シンポジウムの報告は,日本科学史学会欧文誌Historia Scientiarumに掲載された.報告論文は,日本からの報告論文が4編,米国研究者から1編,韓国研究者から3編,全体で8編である. 日本の原子力基本法については,従来,その形成過程について,詳細な研究がなかったが,両院原子力合同委員会の議事録(菅田清治郎編『原子力諸法案の生れるまで』(日本原子力研究所(1956年編纂,1964年発刊)に所収)や学術会議原子力問題委員会資料(学術会議図書館,名古屋大学・坂田昌一資料など)などによって,学術会議での原子力基本法試案の存在を明らかにすることができた.また,とくに基本法に学術会議の原子力三原則が盛り込まれた事情を,解明することができた.その要点は,日米原子力協定の側から通産省が提出した要綱案によって,三原則中の「自主」が「自由」に変えられたものの,藤岡由夫の指摘を中曽根らが受けて,三原則を法案に明文化したということである.この点については,科学史学会の年会で発表するとともに,上記の雑誌に掲載された英文論文でも触れられた.
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