Research Abstract |
本年度は,哲学史的観点からみると,ディアレクティケー(問答法)とレートリケー(弁論術)の内実と両者の関係についての,古典的な言及を行なっている,アリストテレスについて,特に,レートリケー(弁論術)の側からみた場合の,ディアレクティケー(問答法)の意味と役割について論及した,『弁論術(レトリガ)』の記述を検討し,類似点と相違点を明らかにした(Rhetorique chez Aristote).一方,「対話」としての問答法,すなわち,ディアレクティケーを現代において用いた実例と一つとして,世界,宇宙,さらには,神をいかなるものとして捉えるか,という哲学的問題に対して,20世紀のホワイトヘッドが行なった考察を,その『過程と実在』や『観念の冒険』などに基づいて,取り上げ,具体的に,ホワイトヘッドが,過去の哲学者たちや科学者たちの考え方にどのように対処しているかを検討した.この考察の準備として,昨年度までの,ホワイトヘッドの用いる用語(cutting-offなど)の意味と用いられ方の検討を結果をふまえて,今年度は特に,「自然の法則」よ言われるものに,哲学的にいかなる位置づけを行なうかを検討している箇所(『観念の冒険』)を取り上げ,ホワイトヘッドが,他の哲学者たちの学説に対峙する立場を明らかにし,この問題に関しては,ホワイトヘッド自身の,「神」の捉え方が最終的には問題になることを指摘した(Dialectica et Neoaristotelismus : A Study on Whiteheadean Terms(3)).
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