2009 Fiscal Year Annual Research Report
石刻復元資料による柳宗元を中心とした唐代文学の文理融合型研究
Project/Area Number |
20520328
|
Research Institution | Shimane University |
Principal Investigator |
戸崎 哲彦 Shimane University, 法文学部, 教授 (40183876)
|
Keywords | 柳宗元 / 墓碑 / 墓誌 / 鳳栖原 / 万年県 / 柳鎮 / 武岡銘 / 年譜 |
Research Abstract |
本年度の研究によって以下の知見を得た。1、宋・元の石刻著録によれば韓愈撰「柳子厚墓誌」の他に同人による「墓碑」が存在した。2、集本巻11「亡友故秘書省校書郎獨孤君墓碣」は最近出土した「故秘書省校書郎獨孤君墓志」と同じく柳宗元の撰と認めてよく、集本には訂正すべき部分が多い。「墓志」の後半部分に見られる相異は主に独孤君の家族が削除したことに因る。3、上記二人四種の石刻等によって唐代一般的に地下・墓中の「墓誌」類と地上・墓側の「墓碑」が互いに流用されていたことがわかる。4、以上の史料および近年西安で出土した墓誌類に拠って柳宗元一族の墓地の所在地「棲鳳原」は「鳳栖原」の誤りであり、鮑坡村の北に求められる。今日の二説はいずれも成立しがたい。また唐代万年県の郷の名と位置についても従来の説を補正することができる。5、「柳子厚墓誌」の異文や出土石刻「獨孤君墓志」等に拠って柳宗元の事跡、特に長安時代のそれを明らかにすることが可能である。今人の「年譜」は数種類あるが、誤解・未詳の部分が相当ある。また、この過程で、今日では殆ど知られていない、あるいは全く利用されていない「年譜」が日本(江戸)・中国(清)に存在することもわかった。柳宗元研究は「年譜」作成の基礎に帰って再開する必要があろう。6、柳宗元の世系についても諸「墓誌」「墓碑」中の用字法から見て従来の説を再検討する必要がある。父・叔父の名について諸説があるが、父は鎮、叔父は〓と、ほぼ断定してよい。ただし李益詩中の柳呉興は父ではなく、叔父を謂う。また一族が逃避した「呉」を蘇州とする説、出生地とする説は共に成立しがたい。7、「武岡銘」は今日まで殆ど注目されることがなかったが、諸集本には明らかに脱字があり、『明一統志』によって佚句を拾遺することができる。 また、史書の記載を補う高い史料性を有し、かつ政治思想が窺える作品としても貴重である。
|
Research Products
(5 results)