2011 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
20520616
|
Research Institution | Hiroshima University |
Principal Investigator |
丸田 孝志 広島大学, 大学院・総合科学研究科, 准教授 (70299288)
|
Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
曽田 三郎 広島大学, 大学院・文学研究科, 教授 (40106779)
|
Keywords | 民俗 / 象徴 / 儀礼 / 秩序 / 国民統合 / 中国共産党 / 日本傀儡政権 / 憲政 |
Research Abstract |
(1)中国共産党の冀魯豫区根拠地における軍事動員について検討した。同区の参軍運動は、事実上の土地・財貨と参軍の交換、集会を通じた情緒的動員、危機感の醸成、有利な条件の提示によって牽引された。運動の中核となった党員・積極分子らは、土地改革と内戦の秩序の混乱の中で安全保障を得るために、会門の盟誓の方式で集団加入した人々であり、秩序の混乱に伴い任意の組織に保護を求める大衆の行動を利用して展開した。中共は、可変性と恣意性を含む等級区分の付与・剥奪によって人々に対して忠誠を迫り、その行動を組織化することで動員力を獲得した。短期的な組織拡大の下で展開した動員は粗放さを免れえず、強迫、買兵、詐欺、不適格者の大量登録、逃亡など様々な問題を引き起こしたが、既存の権力構造を破壊し、本来的に弱い基層社会の保護機能が更に低減したところに権力を接合させる手法は、強力な動員力を発揮した。様々な経緯で動員された雑多な新兵についても、訴苦を通じた階級教育による精鋭化が試みられ、組織力が高められた。 (2)中華民国成立から1918年頃までの日本知識人の中国認識を、立憲国家としての統合という観点から検討した。臨時約法起草に関与した副島義一、寺尾亨らは、袁世凱の権力掌握に対抗して、議会に強い権限を付与する草案を起草したが、これは、イギリスに対抗し、日本独自の外交を構想するアジア主義的志向によるものであった。内藤湖南が1918年頃より中国の統合に悲観的となったのに対し、吉野作造は革命派に高い評価を与えて護法主義による統合を期待した。浮田和民は立憲政治の確立の視点から領土縮小を唱えたが、日本による干渉には賛同せず、強力な行政権の確立を主張した。このような議論の中で、1918年には、臨時約法が立憲国家形成に不適切であるとの認識が日本の学者の共通理解となっていた。
|
Research Products
(4 results)