2010 Fiscal Year Annual Research Report
統治空間としての城の生成と機能をめぐる歴史考古学的研究
Project/Area Number |
20520652
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Research Institution | Toyo University |
Principal Investigator |
堀越 宏一 東洋大学, 文学部, 教授 (20255194)
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Keywords | 中世フランス / 城 / 大広間 / 礼拝堂 / 住空間 / 天守塔 / クーシー城 |
Research Abstract |
3年間の研究期間の最終年度にあたる2010年度には、ブルターニュ地方東部、ノルマンディー地方から北仏ピカルディー地方とパリ盆地にかけて散在する12~13世紀の大型城砦を主たる研究対象とした。これらの地域は、1200年前後の円筒形天守塔の完成期に引き続いて、中世城砦建築のもっとも先進的な地域だったからである。その際、城の公的空間である大広間aula, salleとその周辺施設(入り口階段など)を考察の中心とした。 フィリップ2世期に完成された円筒形天守塔の内部に配置されることの難しかった大広間は、その後、天守塔を出て、城の囲壁に内接する形で建てられた館の2階部分に置かれることが多くなる。その最良の事例は、フィリップ2世の有力家臣でもあったクーシー領主アンゲラン3世Enguerrand III, sire de Coucy(1180年頃-1243年)により建設されたクーシー城(ピカルディー地方)である。西欧最大の天守塔を備えていたこの城の城壁内部には、「勇者の大広間la salle des Preux」という812m^2に及ぶ巨大な大広間の壁面のほか、かつてはこの大広間に上る大階段le grand degreの下に置かれていたペロンle perronと呼はれる石造テーブルが残されている。ペロンと大階段は、城主の公的権力を象徴する舞台装置であり、大広間と一体となって、家臣や領民に対して高いところから君臨する権力の形を表象していた。 これらの建築要素は、大広間が、城ではなく館や王宮に配置される場合に、それが一階部分に置かれることの多かったイングランドやドイツの城や王宮と対比すると、中世フランスの城の重要な特徴である。特にドイツでは、フランスと比べて城砦建設が遅れる一方で、カロリング期以来のバシリカ式王宮建築の伝統が各地に残り続けた。天守塔と大広間の形状のこのような相違は、おそらく、封建王政と封建領主のあり方の相違とも表裏一体となったものである。本年度の研究課題を追求する過程で、城の建築をこのような文化史的観点から捉えることの可能性を見出すことが出来たのは大きな収穫だった。
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Research Products
(1 results)