2011 Fiscal Year Annual Research Report
日露関係における対立から協調への転換についての総合的研究
Project/Area Number |
20530135
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Research Institution | Hiroshima University |
Principal Investigator |
寺本 康俊 広島大学, 大学院・社会科学研究科, 教授 (00172106)
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Keywords | 日露関係 / 外交 / 世論 / 日英米関係 / マス・メディア |
Research Abstract |
今年度の本研究では、これまでの4年間の研究のまとめと課題を探ることに重点を置いた。研究の成果については、次のとおりである。第1に、イギリス側資料により、日露戦争後の国際関係の激変の中で、日英同盟の改定がロシアに大きな衝撃を与え、英露間の接近の契機になったこと、また日露両国は満州の権益確保のために接近を図り、日露協商交渉を行っていたが、その際、イズヴォルスキー外相が日露間の交渉を非常に重視し、英露交渉にも関連させて、並行させる意図を表明していたこと、また、ロシアが内部事情により政策転換を図らざるを得なくなり、列強と接近を図ることになったことを分析していたこと、さらに、フランスも、日仏間にも日英同盟のような了解を希望し、日仏露3国間での関係強化を希望していたことを分析した。第2に、日本側資料でも、ロシアが、今後、国力の休養が必要で、東欧問題に専念することが必要であり、従来の極東政策をやめて現状維持政策に転換したこと、イズヴォルスキー外相が日本側との接近を熱望し、日露協商が成立しなければ英露協商も無益である旨の発言をしていたこと、日露協商の交渉時に於いて、ロシア側が日本のフランスでの公債募集に日露協商の成立の要件を挙げていたこと、同外相が最も親日的であり、急速な韓国併合でそのロシア内での立場を弱めてはならないことなどが報告されていたことが確認できた。第3に、当時の日露両国の新聞を調査し、特にロシア新聞の間での対日外交政策に関する議論がロシア政府に対して国民への日露交渉や対日政策の説明を余儀なくさせたこと、それはロシア史上、初めて外交政策に世論が反映されたこと、ロシア政治体制の民主化を意味したという意義があった。第4に、この時期、ロシア人は新聞等の日本事情の報道によって、日本社会との共通点、共通利益を見出し、これまでの神秘的、敵対的な日本というイメージを改めることになり、日露接近に大きな役割を果たした。第5に、バフメーテフ駐日露国大使の役割、日露協商の視点からのポーツマス条約の再考、中国の日露均衡政策の模索、第6に、この度の研究調査により、ロシア国内の資料館で、当時のロシア最高指導者の考え方や対日外交政策の変更などを示す未調査の資料の存在が判明した。 以上のように、この時期の日露上関係の対立から協調への変容は、両国の国益の共通性、同盟国の強力な働きかけ、新聞等による世論の変化の影響があることや今後の課題などが分析、検討できた。
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