2008 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
20530166
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Research Institution | Hokkaido University |
Principal Investigator |
佐々木 憲介 Hokkaido University, 大学院・経済学研究科, 教授 (50178646)
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Keywords | 方法論争 / イギリス歴史学派 |
Research Abstract |
経済学史上の歴史学派といえば, なによりもまずドイツ歴史学派を思い浮かべるのが普通である。しかし, ドイツ歴史学派が隆盛を誇った1870年代から20世紀初頭にかけての時期は, 歴史学派の運動が国際的な広がりをもった時期でもあった。この時期に, ドイツに次いで歴史学派の運動が活発であったのは, 古典派経済学が衰退した後のイギリスであった。イギリス歴史学派は, ドイツ歴史学派のたんなる亜流ではなかった。たしかに, イギリスでレズリーが歴史的方法を唱えはじめたころ, ドイツにおいてはすでに歴史学派の勢力が大きなものとなっていた。しかし, レズリーの歴史的方法は, ドイツ歴史学派の模倣ではなく, アダム・スミス以来のイギリス経済学の伝統のなかに潜んでいた対立を, 一方の立場から鮮明に示したものであった。すなわち, 所与の事実をそのまま考察の対象にするのか, それとも理想化された世界を構成して考察するのかという対立であり, この対立が, 演繹法と帰納法の対立として語られることになったのである。イギリス歴史学派のなかで, もっともドイツ歴史学派の影響を受けた人物とされるアシュレーにしても, そもそも歴史学派の見地へと導かれたのは, レズリーやトインビーといったイギリス歴史学派の影響によるものであった。イギリス歴史学派の論者たちは, ドイツの学問に対する評価が上昇するなかで, 歴史学派の潮流こそが世界の主流なのだということを強調するために, ドイツの学問の権威に訴えたのである。イギリス歴史学派の方法論は, 古典派の方法論に対抗するものとして, 現れるべくして現れたものということができる。
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