Research Abstract |
戦間期において金融市場は,急速な発達をみた。そのなかでも公社債の発行額が急速に増加したことが特徴といえる。日本の特徴は,債券を個人が所有する割合が少なく,銀行などの金融仲介機関が多く保有したことである。これは金融機関のリスク耐性や貸出債権の収益性と関連していたと考えられる。リスクの耐性は,銀行の自己資本比率に関係していると考えられる。一方,貸出の収益性は,金融市場における利鞘に関係していると考えられる。これらの関係を見ると,リスクの耐性が大きい,すなわち危険な貸出をおこなえる銀行は,債券の保有割合が少なく,また貸出の収益性が高い地域の銀行もまた債券の保有割合が少なかった。さらに銀行の債券は,貸出債権と異なり,再販売することが可能であるが,国債の再販売は容易であったのに対し,社債の再販売は国債と比べると困難であった。その結果,社債の多くは,発行時に取得し,償還まで取得し続けられており,この点からも銀行は社債に高い利回りを期待していた。こうして銀行の債券保有行動が解明されたが,なお社債で大きな比率を占めていた金融債(日本勧業銀行債・日本興業銀行債・府県農工銀行債)などについては,十分にその性質が明らかになっているとはいいがたい。これらは特殊銀行であり,明示的には政府が支払を保証している訳ではないが,政府の政策に従って貸出を行い,それが不良債権化してこれらの銀行が危機に陥ったときには,政府が救済に乗り出しており,暗黙のうちに政府が補償していると受け取られていた。こうした債券が他の債券と比較してどのような流通上の特徴を持っていたのかについて最終年度で考察する予定である。
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