2010 Fiscal Year Annual Research Report
19世紀後半20世紀初頭ロシアにおける財政と農民税制
Project/Area Number |
20530310
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Research Institution | Keio University |
Principal Investigator |
崔 在東 慶應義塾大学, 経済学部, 准教授 (10292856)
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Keywords | ロシア / ゼムストヴォ / 農民 / 火事・放火 / 火災保険 / 第一次世界大戦 / ストルィピン農業改革 / 強制・追加・任意保険 |
Research Abstract |
19世紀後半から20世紀初頭のロシアの農村社会において出火件数が10倍近くに増加した。とりわけ1900年代初めからストルィピン農業改革期を含む第一次世界大戦直前までの間に、19世紀末の出火件数を2~3倍超える極めて多くの火災が発生した。ロシア農民にとって火事は必ずしも経営に破滅的な結果をもたらすものではなく、むしろ多額の保険金を得て経営をリセットするチャンスを意味していた。というのも、モスクワ県の農民は1904年に強制基本保険加入者の4割、1909年に5割、1914年には6割以上が、保険対象物の時価額よりしばしば数倍にも過大評価されていた保険評価額の70~80%を保険金として手に入れることができたからである。出火件数の爆発的な急増にもかかわらず、ゼムストヴォの火災保険事業は、農民経営の保護を目的とする公益事業より収益性の追求とゼムストヴォ資金確保に重点を置き、かなりの成功を収めていた。一方、農民は保険対象物の過大評価の下で多額の保険金を実際に受け取ることができた。その意味で、ゼムストヴォ火災保険はゼムストヴォにとっても保険加入農民にとっても好都合な事業でありつづけていた。一方、保険料の納入は第一次世界大戦と1917年革命期においても続き、準備金はゼムストヴォの一般事業の継続の財源となっていた。戦時中の建築財と建築労働者賃金が急騰していく中に逆に保険価格は凍結され、再評価によって引下げられていたため、出火件数は激減し、保険事業は再び大規模な黒字に転換した。ところで、ロシア農民のゼムストヴォ火災保険への積極的対応は、第一次世界大戦と1917年2月革命による帝政ロシア政府の崩壊後も、さらに1917年10月革命後の1918年前半までも継続した。
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