2010 Fiscal Year Annual Research Report
インド仏教認識論と分析哲学における知覚論の比較研究
Project/Area Number |
20720012
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Research Institution | Shinshu University |
Principal Investigator |
護山 真也 信州大学, 人文学部, 准教授 (60467199)
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Keywords | ダルマキールティ / ラトナキールティ / 多様不二論 / 形象 / センス・データ / 形象虚偽論 / 自己認識 / 有形象認識論 |
Research Abstract |
本年度の成果は次の二点である。 1)『プラマーナ・ヴァールッティカ』第三章448-459偈の解読に基づき、外界を認める経量部的な認識論における自己認識の役割について、平成20年度の口頭発表を論文の形で公表した。有形象認識論では、外界を知覚する際に、認識内部に対象の形象が形成されるとするが、その形象を反省的に認識する自己認識を認めるとすれば、仏教が言う認識手段と認識結果とは同体であるという説が破綻する。ダルマキールティは、この難点を自覚した上でなお、主客構造をもつ自己認識から、主観性を確立する純然たる輝きとしての自己認識へとその概念を変えることで、自派の見解を擁護した。この考察から、インド仏教の形象論においては、ヨーガ行者の他心知を含む超越的認識を視野に入れることが重要であることを確認し得た。 2)経験的知識の基礎づけを担うセンス・データについて、ウィルフリッド・セラーズは非言語的なセンス・データが言語的な信念の基礎となりえないことを指摘したが、形象の存在論的身分をめぐる後期インド仏教における形象真実論と形象虚偽論との対立においても、その両者の分岐点は、形象の生成に言語的な概念知が関与するか否かという点に求められる。唯識思想を基盤として形象の問題を考える彼らにとって、形象は経験的知識の基礎を担うものではなく、むしろ経験的知識を超えた宗教的直観との関連で論じられるものではあるが、その議論を知覚論一般として捉えなおすとき、そもそも非言語的な形象がありうるのか、という論点は、比較思想の観点から、今後さらに深められるべきである。今年度は、『多様不二照明論』と形象虚偽論者であるラトナーカラシャーンティの『唯識性証明』を比較しながら、両者の唯識性論証の議論に、それぞれの形象理解-形象は言語的なものか否か-が反映されていることを明らかにした。
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Research Products
(2 results)