2009 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
20720067
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Research Institution | Hijiyama University |
Principal Investigator |
武久 康高 Hijiyama University, 現代文化学部, 准教授 (70461308)
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Keywords | 桃太郎 / 台湾 / 旧植民地 |
Research Abstract |
戦前は帝国日本の象徴であった桃太郎。戦後、その桃太郎を題材とした映画が台湾で上映されている。そのことは旧植民地においていかなる意味を担ったのか。本年度の調査では、今まで言及されなかった旧植民地台湾での桃太郎をめぐる状況(主として1960~1970)について明らかにした。 台湾語映画「桃太郎大戦鬼魔島」(1961)は、台北市での上映中にその可否をめぐる再審査がなされ、(1)当時、桃太郎を軍国主義と重ねる認識があったこと、(2)再審査の結果(a)題名に「桃太郎」という名称・新聞広告に「民間故事」という文言は使わない、(b)凱旋帰国の場面を削除、という決定が下された。しかし実際の映画広告では、台北市周辺では「桃老大伏匪記」だが、中南部地域では「桃太郎」や「桃太郎(日片)」という広告表記がなされており、台北市周辺と中南部地域での桃太郎や「日本」に対する認識の違いがうかがえた。また、桃太郎を「民間故事」と宣伝しないという命令は、台湾民衆の「中国人」化を進めていた国民党政府の動きと連動していることを、国民党部の「社調報告」などを例に指摘した。なお、こうした桃太郎映画が民間の映画会社で制作された背景には、「民間故事」を題材とした台湾語映画が大量につくられ、さらに「日歌台唱」の歌曲が流行していたという時代状況も関連している。 さらに1970年には、台湾でも著名な金子吉延を主役として「神童桃太郎」「桃太郎斬七妖」が制作された。調査では、「桃太郎」映画の制作をめぐる状況(監督湯慕華の来歴、多くの日本人監督が渡台していた状況と台湾人の反応、「神怪片」の流行など)について、主として新聞記事の調査により整理した。また、本映画は制作当初「金童収妖」だったのが「神童桃太郎」へと変えられているところから、1970年前後から北部でも桃太郎に対する戦前の認識が変容してきていることを指摘した。
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Research Products
(2 results)