2008 Fiscal Year Annual Research Report
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20720163
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Research Institution | Chiba University |
Principal Investigator |
小倉 佳絵 (高光 佳絵) Chiba University, 大学院・人文社会科学研究科, 助教 (10334591)
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Keywords | 米ソ関係 / 米独関係 / 対ソ認識 / 日中戦争 / 日米関係 / ウィリアム・ブリット / サムナー・ウェルズ / スタンレー・ホーンベック |
Research Abstract |
イェール大学および議会図書館において収集した史料の分析に基づき、第一の課題である日中戦争期のソ連についての英米の認識の違いが東アジア政策の違いにどのように反映していたかを明らかにした。 アメリカはヨーロッパ情勢だけでなく、日中戦争においてもソ連・ドイツ両国を「Two Dynamic Spots」と認識しており、1938年2月までローズヴェルト大統領がドイツ穏健派への期待から対独宥和にしばしば積極的姿勢を示し、それを日本への圧力に利用しようと考えた。国務省もドイツ外務省、即ち穏健派の極東政策をドイツの極東政策と見なす傾向があった。 1938年2月のドイツ穏健派失脚により、ローズヴェルトは対独宥和を断念するが、1938年後半にドイツ軍事顧問団が中国から引き揚げてソ連が唯一主要な対中支援国となったことに警戒感を示す勢力がアメリカにおいては大勢となることはなかった。この点がイギリスとは対ソ認識が異なっており、この対ソ認識がアメリカを対日妥協に消極的にさせていたことが明らかになった点は重要である。 また、ヨーロッパ情勢との関連では、アメリカは象徴としての「枢軸」の切り離しを重視する一方で、実質的にはその結束が強固なものであるとは認織していなかったことを明らかにした。この点は1941年の日米交渉を考える上で重要な問題であり、来年度、ヨーロッパにおける第二次世界大戦勃発以降を視野に入れてさらに探求すべき課題であると考えている。
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