2009 Fiscal Year Annual Research Report
炭砿業における漸次的撤退と離職者支援システムの形成過程
Project/Area Number |
20730349
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Research Institution | Taisho University |
Principal Investigator |
澤口 恵一 Taisho University, 人間学部, 准教授 (50338597)
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Keywords | 炭鉱 / 閉山 / 失業 / 地域社会 / 旧産地 / いわき市 |
Research Abstract |
本研究の目的は、常磐炭砿の社内資料をもとにして、経営者がいかに採炭業の終焉にむけて、ソフトランディングをはかっていったのかを、あきらかにすることである。1971年磐城砿業所の閉山では、職員を含めて実に4700人の炭鉱の労働者が失業を迫られることとなった。しかし、その後の追跡調査によれば、その後離職者たちは、大多数が順調に次の職をみつけ、比較的安定したキャリアをたどったことがわかっている。常磐炭砿の閉山過程を詳細に分析することで、労働力の移動を容易にした要因をあきらかにすることが本研究の課題である。今年度は地域における人口・産業に関するマクロデータの収集を重点的に行い、また早稲田大学に所蔵されている旧労働組合の資料の収集と分析を行った。2009年度の聞き取り調査からもあきらかになったように、常磐炭砿の多角化は昭和30年代の前半から本格化をしていく。常磐炭砿も相次ぐ人員整理により、関連企業に従業員を転籍させていった。これが中小炭鉱の相次ぐ閉山と同時に進行したことにより、その結果として、1960年代を通じて、常磐炭田の鉱業従事者の数は激減することとなった。かわりに新しく誘致された製造業をはじめ、建設、商業の労働力が増加した。したがって、昭和46年の閉山時以前に労働力の転換は、マクロレベルでみればすでに着実に終焉段階を迎えていたことになる。炭鉱の経営多角化は昭和30年代に、多くの企業でみられた現象であり、常磐炭砿のみに限られる戦略ではない。常磐炭砿の多角化が成功をおさめた要因には、地元資本であること、一山一家の理念、労使の協調路線にくわえて、炭質の低さからくる戦略転換の必然性が要因としてあげられる。
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