Research Abstract |
本年度は,一年目の研究を補充し,新たに研究を進め,その成果を発表した。まず,一年目からの継続として,中山大学語言歴史学研究所から中央研究院歴史語言研究所への展開を研究した。考古学・歴史学・言語学・民俗学の諸分野に即して,その研究計画と実際に実施された内容を比較検討し,顧頡剛と傅斯年の学術構想の差異,研究人員の異動とも関連させて,両研究機関の異同を明らかにした。 本年度の新たな研究としては,上述の二つの研究所が共に「歴史」と「言語(語言)」を組み合わせた名前となっていることから,なぜその両者が結び付くのか,傅斯年のドイツ留学経験から,また,近代日本における文献学の提唱とも比較して,分析を加えた。「歴史」と「言語」の組み合わせは,単に歴史学と言語学を並列させたものではなく,清末以来の「国(故)学」との継承・断絶関係のもと,中国を,その周辺地域をも巻き込みつつ歴史的に位置付けることを目指した,一種の方法論であったことが分かった。そこでは民族学・考古学が重要な役割を果たしていた。加えて,1930年前後の中国における歴史学形成の背景として,学術の社会的位置付けと制度的保障,及び諸学科間の関係をめぐる,当時の思想と具体的な制度・実践を論じた。 以上の研究内容につき,三本の論文を発表した。まだ発表に至っていない部分については,速やかな発表を目指す。今後は,本研究課題について分析を深めると同時に,対象とする学者の範囲を広げていく必要があると考えられる。二年間の研究により,1930年頃の中国古代史研究についての,「疑古」から「釈古」・「歴史の再建」(「重建」)へ,という流れを再検討することができ,また,1930年前後中国における歴史学の形成について,欧米・日本の学術動向と関連づけつつ,知見を得ることができた。そして,研究の視点及び史料収集等について,今後研究を進めていくための基礎を形成することができた。
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