2021 Fiscal Year Research-status Report
日常的思考と行動の基盤の不安定化・喪失からの回復にかんする哲学的研究
Project/Area Number |
20K00020
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Research Institution | Ritsumeikan University |
Principal Investigator |
伊勢 俊彦 立命館大学, 文学部, 教授 (60201919)
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Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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Keywords | 歴史的不正義 / 語りと対話 / 応答責任 / 人称性 |
Outline of Annual Research Achievements |
日常の思考と行動が依存する、他者を含む世界についての予期が裏切られる事態による、思考や行動の主体としての地位の危機からの回復の過程を考察の対象とする研究として、本年度は、昨年度に引き続き、紛争や抑圧的な政治支配のもとでの歴史的不正義、とくに戦時性暴力の問題の考察を進めた。昨年度の研究が、不変の公共的秩序の存在を前提できないもとでの謝罪と赦しについて、英国の古典的政治哲学やアーレントの議論にまで遡ることから出発したのに対し、本年度は、とくに戦時性暴力の被害者による自らの被害についての語りに即して、償いと回復の実践の非完結性、継続性という昨年度の研究における発見を踏まえて、語りと応答のあり方を言語論的に考察することを課題とした。その際重要な先行研究として参照したのが、「語る主体」としての性暴力被害者のあり方を人称性という観点から考察した小松原の業績(小松原織香『性暴力と修復的司法』成文堂2017)である。小松原は、「語る主体」の三側面をそれぞれ一人称、二人称、三人称の視点に対応させ、二人称的な性格の語りとしては、被害者と加害者の対話を挙げている。これに対し、本研究では、語りが一般に話し手と聞き手の対話における相互関係において成り立つことに注目し、とくに、直接の被害者に個人としての応答責任を求めることが困難な歴史的不正義の場合の応答責任の所在を考察して、加害責任を継承する集団とその成員が持つ継続的な応答責任が存在し、当該集団は、被害を被った側の集団との対話を通じた語りの形成に継続的に参与する必要があることを確認した。これによって、継続的な実践に根差した歴史的不正義からの回復のあり方がより明確になったと言える。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
前年度に引き続き、COVID-19の感染拡大によるオンライン授業等への対応で、研究時間を十分に確保することが困難であった。また、秋季以降は研究代表者が心身の不調に見舞われ、通院や療養に時間を割かれて、自然災害の与える精神的外傷からの回復における対話の役割等、今年度新たに想定していた課題には着手することができなかった。
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Strategy for Future Research Activity |
歴史的不正義をはじめとする人権侵害による被害の証言がなされる場として、証言内容の客観的妥当性が批判的に検討される刑事裁判に対し、被害者中心主義に立ち、聞き手が共感をもって証言に耳を傾ける真実委員会あるいは民間の運動団体による聞き取りがしばしば挙げられる。その一方で、共感を重要視する見方に対しては、共感のおよぶ範囲は狭隘になりがちなのではないか、また、共感の成立の条件として、共感する側とされる側の同質性が要求されるのではないかという疑念が提出されてもいる。本研究が対象とする、日常の思考と行動が依存する他者を含む世界についての予期が裏切られる事態は、平時の犯罪を含む人権侵害にとどまらず、自然災害等をも含むものであるが、そうした事態は、いわば、それまでの世界のあり方についての基本的な了解が崩され、その後の経験の意味が変わってしまうような原体験と言えるのではないか。とすると、そうした原体験を経ていない者がそうした事態からの被害の経験を理解する上では、単なる感情の直接的伝搬というかたちでの共感にとどまらない耳の傾け方が要求されるであろう。そうした耳の傾け方を含んで成立する話し手と聞き手の関係を整理し解明することを、本研究の次の段階の課題としたい。その手がかりとしてまず参照するのは、徳川直人『色覚差別と語りづらさの社会学』(生活書院2016)である。徳川がそこで主題とするのは「色盲」「色弱」と呼ばれてきた色覚少数者がもつ「語りづらさ」であるが、知覚経験のあり方の相違からくる「語りづらさ」や社会的的不利益の問題は、大きな被害体験によって変容した経験がいかに語られ、それにいかにして耳を傾けることができるかという問題にも通じると考えられるからである。
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Causes of Carryover |
前年度に引き続き、COVID-19の感染拡大によるオンライン授業等への対応で、研究時間を十分に確保することが困難となった。それに重ねて、秋季以降は研究代表者が心身の不調に見舞われ、通院や療養に時間を割かれたため、自然災害の与える精神的外傷からの回復における対話の役割等、今年度新たに想定していた課題に着手することができなかった。 次年度は研究計画の第3年度にあたる。立命館大学内外の研究者とも連携し、単独ないし共催でのセミナー開催等を通じて、研究課題の整理と中間的まとめを図る。
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