2021 Fiscal Year Research-status Report
1920-1930年代植民地台湾におけるアジア共同体認識の変容
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20K00092
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Research Institution | Yamagata University |
Principal Investigator |
許 時嘉 山形大学, 人文社会科学部, 准教授 (10709158)
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Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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Keywords | アジア連盟 / 大アジア主義 |
Outline of Annual Research Achievements |
今年度は、1920年代台湾人民族運動家たちのアジア認識の特徴を捉えるため、同時代日本と朝鮮半島に現れたアジア連盟論の言説とそれぞれの思惑との比較を行ない、また1924年孫文の「大アジア主義」演説に対する日本側と朝鮮側、台湾側のそれぞれの反応とその意義を考察し、そこに潜んでいる朝鮮の「独立」志向と台湾の「自治」志向を明らかにした。 1924年から1925年にかけて、日本国内では米国排日法案による反米心理が高まり、マスコミで喧伝されていた「亜細亜聯盟」の結成がようやく形となり、『日本及日本人』では活発に議論されたり、朝野の政治家が組織結成に積極的に関与したりした動きが現れた。朝鮮の輿論界(『東亜日報』『朝鮮日報』など韓国人民族運動家主導の新聞紙が調査対象)ではアジア盟主を夢見る日本人の姿に冷徹な目で批判したのに対し、台湾人論者たちは(『台湾民報』が調査対象)は日本国内のアジア連盟論を意図的に翻訳し、アジア連盟の結成に大いに支持の意を表明した。興味深いことに、これらの翻訳は本来の日本語記事を恣意的に省き、都合のいい部分のみ摘み出して中国語の記事にした傾向があり、日本を盟主とするアジア連盟の如何を問わず、ともかく連盟組織の結成をなしたい、という台湾人論者の強い願望が見て取れる。アジア連盟論への反論と賛同は、朝鮮人の日本支配から切り離したい独立志向と、当時台湾議会設置請願運動という日本支配を認めた上での自治運動に参加した台湾人の自治志向、それぞれに当てはめて解釈できると思われる。このような朝鮮と台湾の相違は、1924年孫文が神戸で行った「大アジア主義」演説をめぐる両者の真っ逆な反応にも読み取れる。 上記の研究成果は、今年度に学会発表1件、招待講演1件として口頭発表を行なった。これから論文として海外査読付きの学術誌に投稿する予定である。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
今年度はコロナ禍の影響により、海外への実地調査が難航していたが、国会図書館近代デジタルライブラリーと韓国政府の「韓国史データベース」を活用することで日本と朝鮮半島の輿論動向を抑えられ、1920年代東アジアにおけるアジア連盟論のさまざまな視座とその思惑を明らかにすることができた。
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Strategy for Future Research Activity |
今後は、以下の二つの方向で研究を進めていく。 (1)1927年以降台湾人民族運動の内部に左右分裂が生じ、自治志向の穏健派と共産主義志向の左派知識人団体が分かれた。今後は1927年以降の資料調査を継続し、穏健派と左派のアジア認識の分岐を明らかにしていく。 (2)1920年代中国本土において亜洲民族協会(上海で成立。1922~1925年継続)や亜細亜民族大同盟(北京で成立。1925~1927年継続)などアジア諸国を結束する団体があり、これらの報道は『台湾民報』にも見られる。今後は中国本土のアジア連盟の動向を把握していくことで、台湾人のアジア連盟論と中国本土の輿論変化との因果関係の有無について考察を進めていく。
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Causes of Carryover |
本年度はコロナウイルスの影響で海外資料調査が難航し、出張経費が余ってしまった。コロナの感染状況が落ち着き次第、台湾と中国に1920-1930年代の言説資料を調査していきたい。繰越の予算額は出張旅費に当てる予定である。
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