2020 Fiscal Year Research-status Report
集団形成と古典知の継承を視座とする近代日本漢文学の研究―政治家の作品を中心に―
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20K00318
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Research Institution | Keio University |
Principal Investigator |
合山 林太郎 慶應義塾大学, 文学部(三田), 准教授 (00551946)
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Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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Keywords | 日本漢文学 / 名詩 / 東アジア / 教育 / アンソロジー |
Outline of Annual Research Achievements |
研究計画に基づき、以下のような調査・分析を行った。①近代の漢文文化の基盤を明らかにするため、前近代の日本の漢詩文の伝統の実態の解明を試みた。また、それがいかに近代へと接続するかについて考察した。具体的には、江戸・東京の名所を詠った漢詩がどのように受容されたかについて、近代の地誌、小説、随筆などを中心に調査した。また、漢文文化がいかに日本社会に定着したかについて、漢文と隣接する文芸に着目しながら検討した。②『毎日新聞』『東京日日新聞』『日本』『日露戦争実記』(博文館)『扶桑詩文』などの新聞や雑誌を調査し、明治期の政治家や軍人らの漢詩が、社会に流通する様相を探った。また、明治期以降に刊行された漢詩詞華集や注解書を検討し、これらの詩が人々の間に教養として浸透する過程について考察した。さらに、『藤公詩存』(明治43年〈1910〉)、『春畝遺稿』(昭和5年〈1930〉)、『春畝公詩文録』(昭和8年〈1933〉)などの別集を参照しつつ、伊藤博文(号・春畝)の詩について、彼の政治における動向と関係づけながら解釈し、詩作の背景や意図について考究した。③『台湾日日新報』における漢文関係記事を調査し、台湾総統府に関係する人々の詩について整理した。また、江戸・明治期の日本漢詩文が、20世紀初頭の台湾においてどのように流通し、社会的な影響を与えたかについて検討した。④漢詩文雑誌『大正詩文』に掲載された詩文や、その発行元である雅文会について整理し、この雑誌に名が見える政治家や官僚、学者について、交友関係や漢文学に対する態度などの点から分析した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
上記「研究実績の概要」に記した調査にもとづき、次のような知見を得た。①江戸・東京の名所・名勝と近世の漢詩との関係について考察し、服部南郭や大沼枕山らによって作られた詩が、近代の地誌や随筆、小説などに引用され、その場所に関する記憶や印象に影響を与えたことを明らかにした。また、狂詩など、漢文と隣接する領域において、戯れの文芸の伝統が古くよりあり、こうした蓄積が、近代以降の漢文文化の土壌となっていることを確認した。②明治後期以降、注解などを付して読みやすくし、中国・日本の漢詩をともに収録することのできる、結城蓄堂編『和漢名詩鈔』(明治42年〈1907〉)や簡野道明編『和漢名詩類選評釈』(大正3年〈1914〉)などの新しいタイプの詞華集が流通している。こうした「和漢」型とでも呼ぶべき詞華集が、明治期の政治家や軍人の漢詩の流通に、影響を及ぼしていることを明らかにした。また、新聞雑誌における記事や漢詩欄における評などを分析し、当時、伊藤博文の詩がどのような反応を引き起こしていたかについて、データを収集した。③『台湾日日新聞』を調査し、児玉源太郎(号・藤園)や後藤新平(号・栖霞)らの詩の掲載状況について整理した。また、同紙には、近世日本に作られた漢詩文が掲載されており、たとえば、大正12年(1923)3月以降、連載された「扶桑史録吟編」は、前近代の日本の名勝を詠った詩を集められており、日本漢文学史を考える上でも重要な資料であることを確認した。④大正期以降の漢学の潮流について、『大正詩文』を主宰した法学者の高橋作衛(号・月山)の活動を中心に分析した。具体的には、作衛の父であり漢学者であった高橋白山の事跡や、作衛が明治36年(1903)に作衛が発表した漢文振興についての提案などを検討し、彼が『大正詩文』の刊行へと至った背景について探った。
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Strategy for Future Research Activity |
今年度の結果を踏まえ、次のように調査を進めてゆく。①江戸時代後期から明治期における漢詩文化の基層について考察する。とくに幕末・明治初期の漢詩壇において影響力を持った漢詩人の大沼枕山とその門下の活動を分析し、漢文を媒介とした人的ネットワークのあり方や漢詩を取り巻く社会環境の変化について明らかにする。②明治前期の政治や学問の世界において、漢文が果たした役割について考察する。この時期、政治に携わる者は、建議や任官・辞官などに際して、漢詩や漢文によって自らの見解を述べ、学者も、多くの場合、漢文を用いて自らの学問的主張を行った。とくに森鴎外とその周辺の人物に着目しながら、様々な書記言語の中から、漢文が選択されたことの意味について分析してゆく。③末松謙澄、伊東巳代治、金子堅太郎ら、伊藤博文の周辺の政治家の漢詩制作の状況や漢文に関する発言について調査する。また、伊藤と森槐南や矢土錦山などの専門漢詩人との関係についても検討する。以上より得た知見から、伊藤を取り巻く漢詩サロンの全体像を明らかにする。さらに、新聞雑誌における報道状況などを参照しつつ、漢詩文が伊藤のイメージ形成にどのような影響を与えたかを分析する。④『大正詩文』周辺の動きや、「漢学振興ニ関スル建議案」の提案者であった木下成太郎らの主張について調査し、大正期以降の漢学への政治家たちの関心の高まりについて、国内外の文化的動向をも視野に入れつつ、総合的に把握する。
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Causes of Carryover |
新型コロナウィルスの蔓延の影響により、予定していた史料調査及びそれに基づくデータ整理などを行うことができなかった。そのため、収集し得た文献資料を用いた分析を先行させた。今年度に予定していた史料の調査については、今後、感染の状況などを見ながら実施する。
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Research Products
(6 results)