2022 Fiscal Year Research-status Report
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20K00469
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
大川 勇 京都大学, 人間・環境学研究科, 名誉教授 (10194086)
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Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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Keywords | ムージル / 遙かな愛 / 兄妹愛 / ヴァイニンガー / トルバドゥール |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、従来近親相姦モティーフを軸に論じられてきたムージルの『特性のない男』研究に新たな視点を導入し、トルバドゥールに由来する〈遙かな愛〉の視点から『特性のない男』における愛の問題を解明しようとするものである。具体的には、(1)遺稿部の第二巻第39章から第52章までを文献学的手法で成立順に考察し、そこに兄妹愛における「脱性愛」と呼びうる現象が見いだせるかどうかを検討する。(2)『特性のない男』の〈遙かな愛〉をヨーロッパにおける〈遙かな愛〉の精神史的系譜に位置づけることによって、ムージルの愛の観念の独自性を析出する。 (1)については、兄妹愛における「脱性愛」現象の発掘という当初の目論見を修正する必要に迫られつつある。遺稿部第45章に兄妹の濃密な肉体的接触はあるものの、これまで私は兄妹愛を性愛に収斂していくものではないと解釈してきたが、第二巻を読み直す過程で、第10章以降ウルリッヒに対するアガーテの肉体的接近が頻繁に見られることから、それが兄妹愛を性愛の方向に導いていく可能性を認識するに至った。兄妹愛の行方はおそらく「脱性愛」といって済ませられるものではなく、近親相姦の可能性をも視野に入れた、より包括的な考察が求められる。 (2)については、上述の認識と連動して、ヴァイニンガーの性愛拒否、さらには「純粋な人間」として甦った女性を自分の人生の「同行者」にしたいというユートピア的願望と通じる記述がリンドナーの思考として『特性のない男』の遺稿部に見られるという事実も、別の連関で捉える必要が出てきた。リンドナーが揶揄的に造形された人物であることからも、これはヴァイニンガーの理想とした精神的愛を揶揄するものであり、その敢然たる性愛拒否を兄妹愛において別の形に転換するための予示と解釈できる。それは同時に〈遙かな愛〉の観念自体を見直す作業につながっていくだろう。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
ムージルの『特性のない男』の遺稿部については、第一巻、第二巻および遺稿部の翻訳を通して、これまで認識されていなかった兄妹愛の位相を明らかにしつつあるが、まだ論文としてまとめるには至っていない。
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Strategy for Future Research Activity |
外国文学研究における翻訳の重要性を再認識したため、今後も『特性のない男』を中心に、研究の重要な基礎としての翻訳に基づいて考察を進めていきたい。ムージルについては、愛のテーマに特化した『特性のない男』の抄訳が完成の域に近づいており、来年度中に出版できる見込みである。またこの翻訳書には、論文に相当する長文の後書きを付し、そこで翻訳の過程で見出した種々の発見を公表する予定である。ヴァイニンガーについても、『性と性格』全訳のオファーが出版社よりあり、『特性のない男』愛のテーマ編の出版後ただちに翻訳に取りかかる予定である。
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Causes of Carryover |
昨年度に引き続き学会が従来の形で開催されなかったため、国内旅費が発生しなかった。くわえて、研究のかなりの時間を翻訳に費やしたため、研究のための本の購入が少なかった。次年度も研究の基礎としての翻訳を継続するが、研究成果を公表する過程で本の購入費が増大していくであろうと考えている。
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