2020 Fiscal Year Research-status Report
Itagaki Taisuke's Perception and Guidance of the Political Party
Project/Area Number |
20K00942
|
Research Institution | Atomi University |
Principal Investigator |
真辺 美佐 跡見学園女子大学, 文学部, 准教授 (80845066)
|
Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2025-03-31
|
Keywords | 政党 / 藩閥政府 / 第二次伊藤内閣 / 日清戦争 / 自由党総理辞任 / 第二次松方内閣 / 第三次伊藤内閣 |
Outline of Annual Research Achievements |
2020(令和2)年度は、成果を二本の論文として発表することが出来た。 一つは、「板垣退助はなぜ伊藤博文と手を結んだか」(『土佐史談』276)である。第二次伊藤内閣への入閣に際して、板垣はなぜ初期議会期において対峙し続けて来た伊藤博文と提携するに至ったのか、その論理を明らかにした。このことは、日本政党史上における大転換とも言える政党と藩閥の提携の端緒でありながら、従来研究されて来なかった部分であり、この時期の板垣の政党論と政党指導を明らかにすることは、板垣を通して日本の政党の特質や変容を考えることにつながる重要な論点となる。検討の結果、板垣は、そうした「変化」にほとんど触れず、日清戦争後の三国干渉に伴う東アジア情勢の変化のもと、自らの政策論や、立憲政治の完備という政党論においては何ら変化がないことを強調し、日清戦争で政治・外交的手腕を発揮した伊藤に信頼を寄せるようになった結果、藩閥政府との提携という行動における大転換を遂げるに至ったと論じた。 もう一つは「自由党総理辞任をめぐる板垣退助の政党活動と政党論」(『跡見学園女子大学人文学フォーラム』19)で、1897年の自由党総理辞任前後の、板垣の政党活動と政党論を明らかにした。この時期は、従来の研究において、自由党と藩閥との関係のなかで断片的にしか述べられておらず、板垣研究においても空白期間でもあった。本論では、従来、板垣の総理辞任時、すでに党への影響力を減退させていたという指摘もあるなか、総理辞任以降に板垣の指導力は一定の回復を見せてもいることは看過できないことを指摘し、だからこそ、この後結成される憲政党や、隈板内閣の組閣において、板垣は党首格としてそこに参加することにもなることを指摘し、板垣の政党活動を日本の政党政治のなかに位置づけた。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
史料調査の点から言えば、2020(令和2)年度は、コロナ禍にあり、海外での調査が全く行えず、国内での調査先も閉館あるいは入館者制限などで史料調査にかなりの制約があった。 しかしそのようななか、高知市立自由民権記念館やオーテピア高知図書館など史料調査のメインともなる高知の史料調査先では、好意的な協力体制のもと、前倒しで調査を進めることができた。具体的には、『土陽新聞』『高知新聞』『自由新聞』(第一次から第三次まで)などの諸新聞、片岡家資料、徳弘家資料、坂崎文庫、奥宮文庫など諸史料である。 また史料調査が行えなかった分、他の年次で蒐集予定であった関係文献(古書でしか入手できない板垣の諸史料、伊東巳代治や杉田定一の伝記、片岡健吉日記など)を前倒しで購入した。 そのことによって、初年度に行う予定の明治初年の板垣の政党指導と政党認識の検討だけではなく、後に進める分の研究―日清戦争後の時期や、板垣研究の空白期間であった自由党総理辞任前後期の検討を行うことができ、総合的に見れば、研究は順調に進展したといえる。
|
Strategy for Future Research Activity |
2021(令和3)年度、コロナ禍の状況が好転すれば、2020年度に実施予定であった史料調査を何よりも優先して行いたい。まず現在渡航できない台湾の国家図書館や台湾大学図書館、現在閲覧者制限中の国立国会図書館、閲覧不可となっている宮内庁書陵部、長期休館中の明治新聞雑誌文庫(2021年夏に開館予定)での調査を速やかに進めていければと考えている。以上の計画が不可能であれば、史料調査に協力的でアクセスしやすい高知市立自由民権記念館やオーテピア高知図書館、町田市立自由民権資料館などでの調査を前倒しで進めることとする。 そのうえで、憲政党時代の板垣の政党論と政党認識、二度の入閣時の板垣の政治活動と政党認識、立憲政友会成立前後の板垣の政党論と政党活動を検討していくこととしたい。板垣は、一度目の入閣時に自由党総理を辞任し、一旦は総理に復帰するものの、直ぐに辞任し、その後、憲政党時代を通じて一度も総理になることはなかった。自由党(のち憲政党)にとっても、実に約三年半もの間(内務大臣による総理辞任等の時期を含めると約四年三か月もの間)、総理不在のまま政党を運営したということになる。このような状況にあった政党を板垣がどのように認識していたのか、どのような政党を目指そうとしたのか。政党員も、総理という存在をどのように考え、どのような政党であるべきと考えていたのか。以上を分析することは、前年度で考察した藩閥政府との提携という転換期を迎えていた政党の特質や変容を明らかにすることに繋がり、ひいては、以上の時期が、日本の政党政治のなかでどのように位置づけられるのか、日本の政党史のなかで果たした板垣の役割を検討することに繋がる。そうした意味において、従来の研究にない発展性を有する論考になると考えている。
|
Causes of Carryover |
2020(令和2)年度は、コロナ禍下にあり、予定していた海外(台湾)での史料調査が全く行えず、そのための支出がなかった。2021(令和3)年度、史料調査を行える状況になれば、何よりも優先して実施したい。
|